水俣病特措法が成立被害者を切り捨て
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水俣病患者らの座り込み行動で力強く激励する農民連の上山興士さん(右端) |
*水俣病「公害の原点」とも言われ、熊本県のチッソ水俣工場が、猛毒のメチル水銀を不知火海に垂れ流し、汚染された魚を食べた住民らに感覚障害、運動失調、手足の震えなどの重大な健康被害が引き起こされた。新潟県でも昭和電工の工場が原因で、新潟水俣病が起きている。
最初の患者の公式発見から53年がたつが、政府・行政による全面的な健康調査も行われておらず、未救済の水俣病患者は3万人を超え、今なお増加している。
郷里は半農半漁の集落で、父は漁船の乗組員でした。私も中学卒業後、漁船に乗り込みました。水俣病が起こる前の不知火海はおいしい魚が本当にたくさん獲れて、若くても一人前の給料がもらえて、うれしかったですよ。でもその海に、加害企業チッソは猛毒だと知っていてメチル水銀を垂れ流したんです。
私の弟も、51歳で水俣病で亡くなりました。入院して3年間、母は病院に泊まり込んで看病し、公害で漁業ができなくなって神奈川で働いていた私も、盆や正月も実家に帰らず病院に駆けつけ、看病しました。亡くなる前の弟は、寝たきりになり、手も足も曲がったままで、本当に「これが人間の姿だろうか」と思うほど悲惨なものでした。私たち遺族は身体が曲がったままの遺体を荼毘(だび)にふし、曲がったままのお骨を拾いました。これほど症状の重かった弟も国の基準では水俣病とは認定されず、死んでもなんの補償もされていません。
私たち患者は、金目当てで裁判をしているのではありません。チッソと国、行政に加害責任を認めてもらいたい。健康な身体に戻してほしいと願っているのです。
今も、体中がしびれて、夜は睡眠薬を常用しても激痛で4時間と眠り続けられません。
神奈川で働いていた私は、自分も水俣病だと長い間判明しないまま、症状に苦しんできました。まだ自分が水俣病だと気づいていない人や、水俣病だと名乗り出ていない被害者がたくさんいます。チッソは、分社化する前に、こういう人も含めてすべての被害者に補償をすべきです。特措法が成立しても、裁判でたたかい抜きます。
[2009年7月]
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