「農民」記事データベース20090622-881-10

イノシシとの闘い今昔

香川県・小豆島町 珍しい土塁のシシ垣


画像 古来より人々は、農産物に被害を与えるイノシシやシカの侵入を防ぐために、共同で「シシ垣」と呼ばれる石垣や土塁を築いてきました。当時は現場にあるものを材料にして、石の多い所では石垣が造られ、木や竹を使った柵や、土をこねて粘土状にして積み上げた土塁も造られました。

 江戸時代には大規模なものが造られ、江戸中期・後期の遺構が全国各地に残っています。とくに関東から沖縄の各地には数多く残っており、長崎県西彼杵(にしそのぎ)のシシ垣は、享保7年(1722年)の築造であることが藩の記録に残っています。

 香川県小豆島でも古くからイノシシ、シカ、サルなどの野生動物が生息し、農作物の被害に苦しんでいました。そこで百姓と集落の人々は畑と収穫物を守ろうと知恵と労力を出し合い、寛政2年(1790年)、島全域に120キロメートルに及ぶシシ垣を完成させたと、小豆島郡誌に記録が残っています。まさに小豆島の“万里の長城”です。

 小豆島町二面(ふたおもて)長崎地区の山中には、全国的にも珍しい粘土製の土塁が、約200メートルにわたってほぼ完全な形で残っています。土で造られたものとしては島では最長のものです。土塁の幅は60センチメートル、高さは160センチメートルもあり、木で型枠を組み、両側の板を固定して、中へ水でこねた土を3段に分けて、積み重ねて完成したものと考えられます。

 私が住んでいる愛媛県今治市菊間町では、イノシシの被害が出始めてから10年ほどになり、個人で電気柵や金属製の柵を設置したり、猟友会によるいっせい駆除のほか、くくりワナ、オリなどを使用したりしています。

 しかし広島県呉市豊町では、個々の園地を防護するのではなく、広範囲に、かつ効果的に獣害を防ごうと、集落、町、県、農協が一体となって、ミカン園と山の境界に防護柵を32キロメートルにわたって設置。2003年の柵の完成後、被害はゼロになったそうです。設置した柵は、ミカンを運ぶモノレールに載せるために幅180センチメートル、高さ120センチメートルの大きさにして、2万2000枚使用したとのことです。

(愛媛県・今治市菊間農民組合 大道法幸)

(新聞「農民」2009.6.22付)
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2009年6月

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