未来の酪農担う青年 新たな挑戦
今年(2009年)は丑(うし)年。牛のようにゆっくりと着実に前進しながら、畜産・酪農業のさらなる発展が期待されます。新年を迎えて、未来の酪農を担う2人の元気な若者を紹介します。
牛に触れている時が一番幸せ
期待抱いて今年新生活へ
岡山・瀬戸内 酪農ヘルパー
守時(もりとき) 理恵さん(24)
岡山市から電車で30分の瀬戸内市。市内の旧長船町は、かつてはのどかな田園が広がっていましたが、近年は住宅の建設が進み、新しい住民も増えています。新興住宅地が目前に迫る守時牧場では、守時(もりとき)理恵さん(24)が両親とともに酪農に精を出しています。おかやま酪農業協同組合で搾乳を担当する職員(酪農ヘルパー)です。
幼いころから牛舎で牛と遊ぶ毎日でした。高校卒業後、迷わず県内の中国四国酪農大学校に進学。卒業後2年間は、学校がある蒜山(ひるぜん)で酪農ヘルパーをし、2年前に転勤で実家に戻ってきました。
|
理恵さん(右)が描いた看板を前に(左から)父の修さんと母の敬子さん(守時牧場) |
ヘルパーとして県南地域を担当。休日も突然呼び出されることもありますが、「ヘルパーは柔軟に対応できないといけない。絶対になくてはならない仕事」と、誇りに感じています。派遣先では「男性ではわからない細かいところまで目が行き届く」と評判は上々。「農家から『助かった』と感謝されたときがうれしい」と謙虚です。
「ヘマはできない」というプレッシャーをはねのけ、ベテラン並みの活躍ぶりには、酪農への人一倍強い愛着があるからです。「どんどん牛が好きになっていく。家族の一員みたい。牛に触れているときが一番幸せ。牛とかかわらない生活は考えられない」
新年を迎えて理恵さんは、酪農大学校時代の同級生と結婚し、宮崎県都城市に移り住み、酪農家の嫁として新たな生活が始まります。大規模で自給飼料にも取り組んでいる新たな地で、今まで経験したことのない酪農に挑みます。父の修さんは「嫁ぎ先の酪農は、将来の農業のあるべき姿。どこで牛を飼っても日本の酪農の後継者に変わりはない。思いっきりやってほしい」と見守ります。
理恵さんは「期待と不安が半々」と言いつつも、「向き合う動物は同じ。これまでのスタイルは変わらない」とマイペース。「体が健康である限り、ずっと牛のそばにいたい」と、引き続き牛と向き合いながら、酪農後継者としての新たな挑戦が始まります。
消費者との交流を大切に
夢は“プチ観光牧場”めざす
千葉・野田 八千代牛乳に出荷
島山 隆登(たかと)さん(32)
千葉県野田市は、江戸川と利根川に挟まれた水田・畑作地帯。近年、通
勤の際の利便性から新住民が増えています。旧関宿町の江戸川沿いにある島山牧場では、島山隆登(たかと)さん(32)が両親とともに酪農に励んでいます。牧場で搾られた牛乳は、千葉北部酪農農業協同組合(北酪)を通
して、八千代牛乳に出荷されています。
「いずれは継ぐことになるだろうな。とりあえず行ってみるか」と北海道の酪農学園大学に進学する前は、酪農とはほとんど無縁の生活でした。大学では教員免許を取得。両親も無理に勧めませんでした。
卒業後は、「ほかの世界もみておいた方がいい」と、民間の飼料会社で研修員として働きました。実験用の牛の世話など、仕事で初めて牛と向き合うことになります。
|
「消費者との交流が一番」と話す隆登さん(左)、母のしげ子さん(右)、父の正さん(前方)(島山牧場) |
3年間の勤務を経た2002年、会社の強い慰留を振り切り、最後は自ら決断して、実家での酪農生活に入りました。初めは、見よう見まねの試行錯誤でしたが、今では「自分で計画を立ててやってくれる」(母のしげ子さん)と、頼りにされています。
隆登さんがいま力を入れているのは、消費者との交流。初めは「臭い」と言っていた農業体験の中学生が、最後には「牛にもっと触りたい。えさをやりたい」となじんでくれることに新鮮な感動を覚えています。北酪が設けた消費者との交流の場で、子どもたちから「八千代牛乳はおいしいね」と言われたときが、「何よりうれしい」と言います。
島山牧場は、牛のふん尿処理施設を新設し、良質なたい肥を近隣の農家に提供するなど、環境と調和した循環型酪農に取り組んでいます。
隆登さんの夢は、島山牧場を、ふらっと気軽に寄ってもらう“プチ観光牧場”にすること。牛乳で作ったアイスクリームを味わってもらいながら牛と触れ合い、都市近郊でも酪農をがんばっている姿を伝えることです。
「近所の人や都市住民に酪農に親しんでもらうことで、自らも楽しむ“楽農”にしたいんです」。消費者との交流が何よりの力です。
(新聞「農民」2009.1.5・12付)
|