力の限りたたかった
池松選手(レスリング)の姿さわやか
叔父・佐々木督文さん(福岡・みのう農民組合)北京五輪“応援記”
ありがとう!北京へ連れていってくれて
北京オリンピックにレスリング・フリースタイル66キロ級で出場した池松和彦選手。福岡・みのう農民組合の佐々木督文さんは、池松選手の叔父にあたります。佐々木さんから北京での“応援記”が届きました。
◇
8月19日、北京に着いた12人の池松応援団(両親や兄弟、親せき、知人など)を待っていたのは、テレビカメラ。男子レスリングは、55キロ級の松永選手が銀、60キロ級の湯元選手が銅メダルを獲得して盛り上っていました。
日本レスリングチームのしんがりとなった池松選手の決戦は20日。その舞台は中国農業大学校体育館で、世界中から国をあげて大応援団が集まっていました。応援席では、福岡の新聞社の記者が「『一面で吉報を待っている』との連絡が入っています」と言えば、ほかの新聞社が「うちは号外を出しますよ」。その間もテレビカメラは回り、そばにいたディレクターから「強いですよ。グルジアは」との声。池松選手の初戦の相手は、昨年の世界大会で3位のグルジア選手で強豪です。
試合が始まると、第1セットはスピードにまさる相手のタックルが決まって、池松選手はポイントをとられ、第2セットはクリンチから取り返し、運命の第3セットへ。小さいころから両親の酪農を手伝い、その牛乳を飲んで育ち、アテネオリンピックに続いてたたかう池松選手。「ラスト30秒」
「いけ池松! がんばれ池松!」
相手も相当に疲れています。両選手、死力を尽くしたマット上のたたかい。しかし、相手にポイントをとられて、健闘むなしく初戦敗退…。
どこの国の選手であれ、力の限りたたかう姿はさわやかです。優勝したトルコ選手の国旗が上がった時には、会場がひとつになって静かな感動に包まれました。
|
死力を尽くす池松選手と声援を送る応援団(撮影=保高幸子さん)
|
21日に帰国。畑では何ごともなかったかのように草が元気に伸びていました。4年に1度のスポーツの祭典に行けた喜び、そして北京に連れて行ってくれた池松選手になによりも感謝し、スポーツのすばらしさを体験した3日間でした。
(新聞「農民」2008.9.22付)
|