マイペース酪農の仲間を訪ねて
輸入飼料に頼らず
風土に生かされた酪農
牛にも人にも自然にもムリさせない
飼料や資材の高騰に多くの畜産農家が苦しむなか、輸入飼料に頼らず、元気に、そして着実に、農業に取り組んでいる酪農家たちがいます。北海道の釧路・根室地域を中心に活動している「マイペース酪農」の仲間たちを訪ねました。
自然循環の中で牛らしく飼って
厚岸町の石沢元勝さん・由紀子さん夫婦の牧場の朝。サラリとした牛乳のような霧の中を、搾乳を終えた牛たちが放牧地に向かいます。放牧地に到着すると、わき目もふらず草を食(は)み始めました。「牛って本当に一生懸命、草を食べるでしょ。これが大切なんだよ。牧草をおなかいっぱい食べて、乳にして出すのは牛の仕事。牛飼いの一番の仕事は、牛舎の扉を開けること(笑)」という元勝さん。
日本の酪農は、経済効率一辺倒の政策のもと、安い輸入穀物からできる濃厚飼料を大量に牛に与え、なるべくたくさんの牛乳を搾ること、大規模経営にすることが求められました。その結果、牛の病気が増え、人間は加重労働に苦しみ、農地に戻せないほどのふん尿があふれることになりました。
これに対して、マイペース酪農は「風土に生かされた酪農」がモットー。自然循環のなかで、草食動物である牛を、牛らしく飼うということ、具体的には、耕地面積に合った頭数規模にし、牛に無理をさせない乳量に抑えること、濃厚飼料を減らして放牧・牧草中心にすること、ふん尿は良いたい肥にして農地に戻す、などを大切にしています。
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石沢牧場の放牧地。さまざまな草で土がおおいかくされている
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出荷乳量へったが経営まずまず
でももっと大切なのは、「どういう生き方をしたいか、その生き方を実現するには、どういう酪農がしたいかだと思う」と、マイペース酪農の先駆者である三友盛行さんは強調します。東京・浅草出身の三友さんが奥さんの由美子さんと中標津町に入植したのは四十年前。「ボクは町育ちだったから、ここの生活には経済効率より大事な価値があると知ってたんだよ」と、規模拡大路線には乗らず、ずっとマイペース酪農を通
してきました。
もっとも、マイペース酪農の仲間たちの方向転換は、たやすくありませんでした。「周りは大規模化一辺倒のなかで、“拡大こそ積極的経営”という考えを断ち切るのは、本当にたいへんだった。マイペース酪農の仲間がいたからできた」と振り返る別海町の岩崎和夫さん・春江さん夫婦。「大規模経営だったころは、一日中、牛舎で仕事に追われてたけど、今は牛の病気も減ったし、暮らしにゆとりができた。出荷乳量は減ったけど、経費も減ったから、経営もまずまず。濃厚飼料も少量だから、価格高騰はそれほど影響ない」と言い、息子さんも後継者として奮闘中です。
土地に合った飼料作物活用して
岩崎さんを支えてきたマイペース酪農交流会は、十七年間、毎月欠かさず、第三水曜日に開かれています。テーマや講師などは決めず、出席者全員が自分の営農や生活を話すというのが内容です。仲間の話を聞くことで、自らの営農を見直し、そうやって農民自ら語りあい、少しずつ、マイペース酪農を発展させてきました。それだけに、交流会参加者の「マイペース酪農は、単なるコスト削減のノウハウではない。農家の暮らし、農業のありようを見直すことだ」との思いは、深いものがあります。
マイペース酪農交流会の事務局長を務める別海町の森高哲夫三さん・さよ子さん夫婦は、「畜産もフードマイレージの考え方が大切ではないか。輸入飼料の高騰を、根本的に解決するには、それぞれの土地に合った飼料作物をもっと活用していく仕組みが、全国的に必要だと思う」と言います。
また「消費者とも共同して、牛乳の価値を見直し、ガブ飲みせず大切に飲む、そういう時代になったのでは」という問題提起も。「今の労働に見合わないような安い乳価も大問題。このままだと、マイペース酪農のような低投入の酪農でも、暮らしが立ち行かなくなってしまう」―これは、マイペース酪農の仲間みんなの一致した思いでもあります。
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搾乳作業中の石沢元勝さん・由紀子さん夫妻
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酪農家の生き方切り開いてきた
牛にも、人にも、自然にも無理をさせないマイペース酪農は、酪農家の暮らしにもゆとりをもたらしています。とくにこの恵みが大きかったのは、女性たち。加重労働ではなく「もっとゆとりある時間を作って、家族を大切にしたい」との切実な探求が、酪農家の生き方としてのマイペース酪農を切り開いてきました。「健康でおいしい牛乳は、健康な牛から。健康な牛は、健康な牛飼いの生活から」という石沢さんの言葉が、心に響きます。
(新聞「農民」2008.6.30付)
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