CO2増加と温暖化がイネの生育・収量に及ぼす影響
“栽培暦が変わってきた”
農業環境技術研究所 大気環境研究領域・主任研究員
長谷川利拡さんに聞く
地球温暖化は、農業にも影響を与えています。とくに水稲への温暖化の影響を研究している農業環境技術研究所の長谷川利拡さんに話を聞きました。
温度上昇の影響 未解明な点多く予想が不確実に
IPCCの第四次報告書でも、農業への影響が大きく取り上げられましたが、まだまだ研究すべきことが多く、実は将来予測の確度は高くありません。同時に、不確実だからと傍観するのではなく、悪いシナリオを想定した適応策を、今から準備していくことが重要だと思います。
温暖化していくと、マイナス面で確実に起こりそうなのは、生育日数が短くなって収量が下がるということです。また、温度上昇によって作物の呼吸が盛んになって体力を消耗する、高温による不稔障害などが指摘されています。
高CO2の影響 光合成が促進され、プラス面も
プラスの側面もあるにはあります。冷害が減るかもしれない、栽培可能期間が延びるなどのほか、二酸化炭素が増えると作物の光合成が促進され、植物の成長と収量を増加させる効果もあります。
将来の作物生産は、これらプラスの影響とマイナスの影響の相互作用で決まってきます。
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茎の数、穂数、モミの数、稔実モミの割合など、水稲の収量を決定する構成要素が、各生育段階で決まっています。
これまでのFACE実験(=別項参照)から、高CO2環境で水稲を栽培すると、一五%前後の増収になることがわかっています。しかし高CO2のプラスの効果
が現れるのは、生育初期の分げつ期だけ、つまり穂数が増えるだけで、モミ数や登熟度合いなどはあまり変わりません。もっと成長を通
してプラスの効果が持続するような適応策や育種、栽培方法などが今後重要ではないかと考えています。
岩手県雫石町のイネFACE実験ほ場
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FACE実験(開放系大気CO2増加実験) 通常の水田の一部に、将来予想されている、CO2濃度の高い環境を人工的に作り、水稲の成長を調べる実験。温室などに比べて、実際の生産環境に近い条件で高CO2の水稲生産への影響がわかる。水稲のFACE実験は、岩手県雫石町(農環研と農研機構・東北農研の共同実験)と中国江蘇省の二カ所でしか実施されておらず、世界的に貴重な研究となっている。 |
この高CO2のプラス効果がどれくらいあるかという見積もりで、将来予測もずいぶん変わります。今のところ研究が進むにつれ、当初思ったほどプラスの効果
は大きくないのではないか、という指摘もあります。
今後、CO2は確実に増加していきますので、将来の食糧生産は確実に高CO2環境の中ですることになります。小麦・大豆の増収率も一五%くらいと、主要な作物の増収率がそれほど高くないのが心配なところです。
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温度上昇は水稲の生育過程すべてに影響します。しかも生育過程それぞれに、最適温度や温度変化の限界が違うため、予測が非常に難しい。ちょっとの温度の違いでも壊滅的な影響になることがあります。
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高温になると葯(やく=花粉の入った袋)の開き方が悪くなったり、花粉が葯から出にくくなったりして、柱頭(めしべ)に付く花粉の量
が少なくなって、受精の失敗が多くなる。 |
たとえば水稲の受精は昼頃に一時間くらいで終わってしまいますが、温室実験ではこの一時間に三四〜五度から一度上昇するごとに一六%ずつ不稔が増える結果
が出ており、四〇度になれば八〜九割が不稔になると心配されています。実際、昨夏のような異常高温条件で出穂した水田では、通
常よりも不稔が高いところがありました。ただし実際の田んぼでは、湿度や風などの条件によって、気温と穂の温度がすごく違う場合もあり、単に高気温から不稔を予測するのは困難です。また水不足や高CO2環境は、気温と穂温の関係にも影響し、高温ストレスが深刻化するという研究もあって、これらの相互作用もさらに研究が必要です。
また、すでに玄米の胴割れや白濁による外観の品質低下がほぼ全国的に発生しています。これは玄米の中にデンプンが充実する段階で、デンプンの粒の並びが粗くなり、白く濁ってしまうという現象です。
温暖化の影響は深刻ですが、いくつかの手立てはあって、高温を回避するような栽培時期の選択、高温に強い品種の育成などで影響を緩和することはできそうです。高温による不稔の発生には明瞭な品種間差異があり、インディカ種よりむしろジャポニカ種に高温に強い品種がたくさんあることもわかってきました。
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一方、冷害はなくなるかというと、なくならない。今後、高温にも低温にも注意しなければならない状態がずっと続くと考えられます。二〇〇三年の冷害の年、FACE実験のほ場では、冷害の程度がより大きくなりました。理由はまだわかりませんが、高CO2濃度が冷害を助長する可能性があります。冷害の研究は今後さらに重要だと考えています。
暖かい地域は、現在の作型では、品質などで苦戦しています。しかし、暖地の豊かな気候資源を活用すれば、潜在的な生産性は大きいことがわかっています。裏を返せば、現在暖地においては、潜在的な生産力に比べると、かなり抑えたレベルで生産が行われている、ととらえることができます。今後、日本でどういう農業によって、自給率を向上して、食料を確保していくか、そういう大きな議論のなかで考えていくと、暖地における温暖化のマイナス面だけを強調することはないと考えています。
“作る人がいなくなる”大きな危機感が…
高知県の試験場で、過去二十五年間、毎年、同じ日にコシヒカリを田植えして、その後の生育を記録した貴重なデータがあります。それによると、この二十五年間で、出穂が一週間から十日ほど、明らかに早期化しています。収穫も早くなっており、全国的にみても、温暖化の影響による生育期間の短縮が、近年すでに始まっています。これによって、肥料や水管理の時期も調整する必要があります。この栽培暦が変わってきたというのは、農家の方々に強調したいところです。
また、窒素の施肥量が少ないことが、外観品質や収量の低下に影響を与えていることも指摘されています。生育後半まで供給を絶やさない肥培管理、水管理が大切だと思います。
品質面では、温暖化によって玄米の外観が悪くなることが問題視されています。しかし、白未熟粒による外観品質の低下が、消費段階でどれくらい問題となるかについては、十分に検討が必要です。生産者と消費者の求める品質を近づけることで、白未熟をどの程度に抑えるべきかの目標が変わるかもしれません。品質規格の考え方の違いでも、生産者へのマイナス面が抑えられるのではないでしょうか。
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お米の生産を世界的に見ると、私は楽観できないと思っています。とくに水循環は予測できないところが大きい。主要生産国や輸出国の水環境は非常にぜい弱ですし、アフリカも状況は深刻です。温暖化に寄与していない国々が大きく減収すると予測されており、世界的な取り組みが必要です。
お米の貿易市場はとてもぜい弱です。この考えに立って、日本の食糧生産も考えていかないと将来、たいへんなことになると思いますし、今は考え直すいい機会だと思います。日本では、食糧供給を担っている農家が生活基盤を失うような状況ですが、作る人がいなくなることにもっとも大きな危機感を持ちます。温暖化だけでなく、価格や担い手なども含めて、どうやって農業生産を続けていくかが、トータルな意味での「持続可能性」だと思います。
(新聞「農民」2008.6.30付)
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