「平和の鐘」の架台の中に
原爆稲を奉納
栃木・東輪寺
核廃絶へ祈りこめ落慶式
長崎で被爆し、植え継がれてきた原爆稲が、広島原爆の残り火を守り続けている東輪寺(栃木県さくら市)で、平和の鐘の架台が建設されたのを機に保存されることになりました。四月八日に落慶式が行われました。
東輪寺は二〇〇〇年から、原爆の残り火が分灯され、以後、ろうそくを交換しながら火を絶やさず保存してきました。住職の人見照雄さんは、寺に太平洋戦争の戦没者三十五人が祭られ、東京空襲に伴う学徒集団疎開が行われていたなどの理由から、分灯を決意し、核廃絶の取り組みにかかわってきました。
600人余から募金
〇六年には、地元の農家・佐々木武夫さんから平和の願いを込めて「平和の鐘」が寄贈されました。釣り鐘は直径約八十センチ、高さ約百四十センチ、重さ約四百キロ。鐘をつるすための架台が必要になり、人見住職は、架台建設のための募金を呼びかけて、県内を歩き回った結果、八日現在で六百二十五人から募金が寄せられました。
八日の落慶式には、檀家をはじめ、建設業者ら十数人が集まり、架台建立を祝いました。
架台は、広島の原爆ドームをイメージして、パイプを交差させたものに。パイプの中に、広島の原爆瓦、長崎で被爆した天使像のかけら・瓦や土など、原爆ゆかりの遺品とともに、原爆稲が納められることになりました。
原爆稲は、上三川町の米農家、上野長一さん(56)が、長崎で被爆した稲を今日まで植え継いできたものです。(新聞「農民」〇七年八月十三日付で紹介)
原爆風化させない
上野さんは、米の販売先などで出会った人に、自己紹介代わりに新聞「農民」のコピーを配布していました。それを目にした地元ラジオのアナウンサーが原爆稲を放送で取り上げました。
たまたまそれを耳にした人見住職が、上野さんに連絡し「架台建設の際には、原爆稲をぜひパイプに納めたい」と依頼したことが、今回の奉納につながったのです。
人見住職は「原爆を風化させてはならない。火を灯し続け、鐘をつくことを通じて、核廃絶への共感の輪が広がってくれればと考えています」と、期待を込めます。
上野さんは「稲が、食べるお米としてだけでなく、平和の願いとして動き出しました。人と人とを結びつける稲の、もう一つの力です。米作りが厳しくなるなかでも、これを励みに、一段と米作りに精を出したい」と張り切っています。
(新聞「農民」2008.4.21付)
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