品目横断対策・低米価はねかえし励まし合い米作り中越地震から3年余/苦難のり越え復興に尽力新潟県南部の山間地、十日町市は魚沼コシヒカリの生産地。この日本有数の米どころも四年前、中越地震の被害を受け、農業も大打撃を受けました。農民連十日町支部の仲間たちは、苦難を乗り越えて、米作りに励み、会員が震災当時から三倍に。支部は二〇〇八年、新年を迎えて、さらなる飛躍をめざし、地域農業の振興に全力をあげます。
今もなお残る震災の傷跡十日町市は人口六万五千人。市内の多くは山間地で、米のほかキノコ、夏野菜も多く栽培されています。昭和三〇年代までは、きもの産業の隆盛でにぎわっていましたが、四十年の九万人をピークに、人口が減り始め、過疎化の波が押し寄せています。農家数も減少の一途をたどり、六十五歳以上が人口の過半数を占める限界集落が市内全集落の三分の一に。過疎化に追い打ちをかけるように震災が襲ったのは二〇〇四年。「農道が崩れて、田んぼが埋まってしまった」。米農家の樋口一郎さん(79)が嘆くように、田んぼ、あぜが崩れ、農業ができなくなり、集落ごと移転した地域も。場所によっては今なおその傷跡が残っています。 会員で市議を務める尾身隆一さん(54)が「壊れた田畑をみんなで協力して復興した」と話すように、農民連は被害を受けた農地や家屋の補修、救援物資の調達を手伝い、地域農家の支援に奔走。山本浩史さん(56)は、NPO法人とともに、復興ボランティアに献身的に参加しています。
減反と低米価厳しい状況…復興は徐々に進み、米作りを再開する農家も。しかし減反に低米価と、米農家を取り巻く環境は厳しさを増しています。米作りに励む高橋敏夫さん(69)は怒ります。「低米価は百姓いじめだ。農業をやめろというようなもの。力を合わせて打ち破らないと」
米の準産直に仲間入りしてよかったあ農民連は、農家の顔が見える米を、産地から卸や米屋を通して消費者に届ける準産直に取り組んでいます。「農民連が米を買うから、減反せず、米作りを続けようと、みんなに呼びかけた」。震災時に支部長だった山田登さん(79)は振り返ります。山間地で米作りをする江村元吉さん(64)が「低米価のなかで、農協にばかり頼ってはいられない。農民連に出荷できてよかった」と喜ぶように、準産直は、農家の米作りを助ける上で大きな力になりました。「うちも米を出したい」と準産直への参加が増え、仲間が増えていったのでした。
国の対策では農業は崩れる十日町の山間部は、急なこう配が多いため、小さな棚田での米作りになります。峠の棚田といわれる場所は、美しい棚田の景観を撮ろうと多くのカメラマンが訪れる撮影スポット。支部長の大津久さん(73)は「こんな所で品目横断対策などできるわけがない」と、四ヘクタールの担い手、二十ヘクタールの集落営農しか農政の対象にしない品目横断対策を批判します。政府が品目横断対策を打ち出した当時から、支部は「これでは十日町の農業は崩壊する」と声をあげ、農家に実態を知らせました。農業委員会では、農民連会員が中心になって品目横断対策の中止を求める建議を提出。他の委員の共感を呼び、採択に至りました。
農民連会員が3倍に都市の消費者と楽しい交流米の準産直と地域農業振興の取り組みが実を結び、会員はこの四年間で三倍に。支部の集まりは通常、副支部長の岩田春市さん(71)宅でにぎやかに行われます。岩田さん宅の壁は現在も所々にひびが入り、震災の跡を生々しくとどめています。しかしその部屋も十人から二十人が集まるといっぱいに。会議の熱気で、議論にも熱がこもります。
今年も仲間ふやし山間地農業振興に貢献所得税、住民税など税制が変わった昨年、「改正」点を多くの農家に知らせようと、支部として初めて税金学習に取り組みました。「申告の仕方などたいへん参考になった」と話す相沢成一さん(60)は五年前に郵便局を退職し、就農。米の準産直で入会しました。地域の仲間たちと、都市部の消費者を田んぼに招き、田植え、稲刈りなどの交流を楽しみながら、地域で農民連の仲間を増やしています。「米に加えて野菜の産直にも取り組み、販路を広げることが、地域の活性化につながります。仲間をさらに増やし、十日町の農業振興に貢献したい」。大津支部長の新年の抱負です。
(新聞「農民」2008.1.7付)
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[2008年1月]
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