「農民」記事データベース20071224-809-06

還暦を迎えた農協法

その原点を確認しよう


戦後の経済民主化に農協が期待されたが…

 一九四七年十一月に農業協同組合法が制定されてから、今年でちょうど六十周年の還暦を迎えました。

 難産した原因は…

 あの戦争は軍隊だけが進めたのでなく、財閥中心の軍需産業も推進者でした。敗戦に際して日本が受け入れた「ポツダム宣言」には、軍国主義の背景となった財閥の解体とともに地主支配の排除が明記されました。

 農協法制定七カ月前の四月には、独占禁止法が制定されています。まだ各種協同組合の根拠法が定まっていなかった時点で、協同組合は「独禁法の適用除外」とされました。そして、戦後の経済運営における民主化の積極的な担い手として、協同組合の大きな役割が期待されました。そのトップバッターとして、農協法が制定されたのです。

 農協法の立案は、四六年三月の第一次案から第六次案までにわたっています。難産した最大の原因は、日本側が戦時体制下の農業会をそのまま、組合員総会の特別決議で農協に移行させようとしたためです。これに対してGHQは「農業会は戦犯であり解体しなければならない」として認めませんでした。この点は、すでに四五年十二月のGHQ農民解放指令でも、農民を地主支配から解放することとあわせて強調されていた点でした。

 戦犯・農業会を継続

 ところが、全国段階については、ほとんど戦犯としての農業会を引き継ぐ形で全国連が再発足しました。この動きに異議を唱えて独自に設立されたのが、いわゆる“新宿農協”と呼ばれる日本販売農協連(日販連)や日本文化厚生農協連(文化連)でした。

 農協全国連は、こうした記念すべき農協法制定六十周年の年に行われた参議院選挙で、「戦後レジームからの脱却」を強調して財界主導型政治を推進する自民党から、元専務を国会議員に出したのでした。

(H)

(新聞「農民」2007.12.17・24付)
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2007年12月

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