「農民」記事データベース20070827-793-02

農民連常任委員・事務局次長

二瓶 康一氏が急逝


 農民運動全国連合会常任委員で事務局次長、新聞「農民」前編集長の二瓶康一さんが、八月十三日、静岡県西伊豆の海岸で海水浴中に、不慮の事故により急死しました。四十歳でした。

 十七、十八日に千葉県船橋市で行われたお通夜・告別式では、農民連の白石淳一会長と真嶋良孝副会長が弔辞を読み、農民連の仲間をはじめ友人、知人など多くの参列者が最後のお別れをしました。


農民連白石会長の弔辞(大要)

 あなたとこのように突然、別れの日がやってくるとは、今も信じられません。私たちは、ご家族や友人のみなさんと同様、深い悲しみの中にあり、たいへん残念な思いでいっぱいです。

 あなたが農民連本部のスタッフとなったのは、今から十二年六カ月前の一九九五年三月でした。北海道大学に学んだあなたは、農業土木関連の会社に就職したものの、日本農業の現状に心を痛め、進んで農民連のスタッフとなりました。

 足跡をたどれば、スタートは新聞「農民」の編集部員であり、青年部事務局長の大役でした。一九九五年九月には、青年部のヨーロッパ農業視察に参加して国際的な知見を深める第一歩を踏み出しました。二〇〇一年一月には常任委員となり編集長に就任し、〇五年六月には農民連・食健連のBSE訪米調査に参加し、アメリカのBSEの実態を新聞「農民」で鋭く告発しました。これが、アメリカのいいなりに牛肉の輸入を再開しようとしていた日本政府への国民の怒りを喚起するうえでどんなに大きな役割を果たしたことでしょう。〇五年十二月にはWTO香港閣僚会議行動に参加し、日本代表団の事務局を担い、WTO閣僚会議を決裂に追い込むことに貢献しました。

 今年一月からは事務局次長、編集委員会責任者、政策調査部責任者、国際部次長として、今後の農民連を背負う担い手としてその活躍が期待されていました。私たちにとって、あなたを失った損失は、何ものにも例えようがないほど大きいものがあります。

 しかし、最も無念なのは、あなた自身ですよね。志半ばで突然、生命を絶たれようとは青天の霹靂(へきれき)であったに違いありません。あなたは、二〇〇九年一月に迎える農民連結成二〇周年の記念誌を編さんする事務局責任者として構想を練っていました。九月には中山間地の農業施策を調査するために、高知県に出張することも決まっていました。世界の仲間と連帯して食糧主権を確立する流れを強めるために、心を躍らせていたではありませんか。

 あなたを失った私たちは、もはや一緒に仕事をすることはできなくなりましたが、ただ一つ可能なことは、あなたが生涯をかけて打ち込んだ志を受け継ぐことだけです。

 二瓶さん、ご苦労様でした。やすらかにお眠りください。あなたが愛してやまなかった奥様と三人のお子さんをいつまでも見守ってください。

(新聞「農民」2007.8.27付)
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2007年8月

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