「農民」記事データベース20070604-782-12

能登半島地震への支援、ありがとうございました

石川県連の西忠恭事務局長から感謝の手紙


 石川県連事務局長の西忠恭さんから、全国から寄せられた救援活動と支援に対して、感謝の手紙が届きました。一部を紹介します。

 能登半島地震では、発生直後から物資や募金を届けていただき、本当に感謝しています。農民連のすごさに、現地で高い評価を得ています。

 ピーク時には、二千六百二十四人が四十七カ所で避難を余儀なくされ、ノロウイルスの発生で高齢者が救急車で搬送されるなどつらい避難生活が続きましたが、いまでは仮設住宅に引っ越し、避難所はなくなりました。

 発生当日は、現地の会員に連絡しても電話が通じない状況が続きました。宮岸会長と現地に向かいましたが、現場はパニック状態でとても話を聞ける状況ではありませんでした。農民連本部から「富山と新潟から、おにぎりなどの救援物資を明日届ける」との連絡で、避難所の状況を聞いたところ「乾パンが配られただけ。食料が届いていないところもある」とのことで、さっそく夜遅く富山と新潟に手配をお願いしたところ、二つ返事で「明日の夕方までには現地に行きます」との返事。なんともありがたい思いでした。

 それから二週間は現地にはりつき、自宅と現地を何往復もしながら、全国からの物資を受け入れ、被災者に配達し要望を聞き取り、農地などの被害状況も調べてきました。全国から寄せられた物資と募金は、被災した会員や救援センター、避難所に届け、大変喜ばれました。特に、注目されていない避難所も数多くあって「よくここまで来てくれた」と感謝されました。

 また農民連本部から、発生から三日目に森吉秀樹さんが、そのあと笹渡義夫事務局長も現地入りし、精力的に動いてもらいました。農民連の動きの速さと全国的な支援に、現地では驚きの声が上がっています。

 現在、被災者は仮設住宅に入居していますが、期限は二年間です。高齢化で多くが年金や農漁業で生計をたてています。とても家を新築できるような経済状況ではありません。農業被害の復旧もこれからです。「仮設に入れる人はまだいい方や。うちらのような山奥にはだれも来てくれん」―ほんとうに能登が復興するには、まだまだ長い道のりです。

 県内では、労働組合や新婦人などと災害対策連絡会準備会を立ち上げ、長期的な支援体制を作ることができました。また、農業でがんばっている農家との接点も広がりました。全国からいただいた大きな励ましにこたえて、能登で農民連の組織が大きくなるようがんばりたい。

(新聞「農民」2007.6.4付)
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2007年6月

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