今も残る ミカン山の簡易索道
愛媛
急斜地の収穫作業を省力化
農道・モノレール整備で“座”譲る
愛媛県内のミカン産地は、南予地方を中心に傾斜地で栽培されています。いまでこそ農道やモノレールが敷設され、運搬作業は比較的楽になりましたが、急峻(きゅうしゅん)なミカン畑から収穫したミカンを運び出す作業は、困難を極めます。
いぜんのミカン畑には、人一人通れる程度の小道しかなく、山の上から平たん地まで運び出すには、背負子(しょいこ)で背負ったり、天びん棒で担ぐしか方法がありませんでした。「この重労働と能率の悪さは、どうにかならないか」と、宇和島市吉田町立間(当時は、宇和郡立間村)の薬師寺長吾さんは、ミカン園から平たん地へ一気に収穫したミカンをおろす索道の開発を思い立ち、一九一七年(大正六年)に簡易索道の設置に成功しました。これにより、急傾斜の運搬作業で大幅な省力化が実現しました。この功績をたたえる石碑が、吉田町旧立間農協に建っています。
戦後になって、「急傾斜地帯農業振興特別措置法」、別名「段々畑法」が成立し、ミカンの好況に伴って、急傾斜地の農道や索道の整備が急速に進みます。当時、吉田町や立間村には、百本以上の索道が設置されたと言います。
一九六〇年代に入り、農業構造改善事業による「選択的拡大」政策のもとで、ミカン生産は急速に拡大しました。そして、農道やモノレール、園内道が整備され、山頂のミカン園まで直接トラックが入るようになり、直接積み込みができるようになると、索道はその役割を終え撤去されていきました。
いまでは、農道が未整備な怒和(ぬわ)島(松山市)などにわずかに残るのみで、ここでは三十カ所ほどでいまでも索道が使われています。一九八〇年頃に島を訪れた時には、山頂に登ると、四方に降りる索道の基地があり、途中には中継地や支線も分かれていました。
(愛媛・今治市菊間農民組合 大道法幸)
◇訂正 2月26日号にて、以下の訂正がありました。
2月12日号4面の「今に残るミカン山の簡易索道」の記事中、天びん棒を担ぐ写真のうち「一九四五年代」を「一九五〇年頃」に。文中、「急傾斜地の農道や索道、排水路の整備」のうち「排水路」を削除。「山頂に登ると…」の前に「一九八〇年頃に島を訪れた時には」を挿入します。訂正しておわびします。
2007年3月5日、訂正しました。
(新聞「農民」2007.2.12付)
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