「農民」記事データベース20060925-749-05

若月俊一先生を偲(しの)ぶ

小 林 節 夫


 佐久病院名誉総長の若月俊一先生が八月二十二日に亡くなられました。追悼文を頼まれましたが、書ける人は他にたくさんおられ、到底、私は適任ではありません。しかし農民運動とのかかわりでとなると、先輩も多くは亡くなり、その面からの回顧を書いて責めをふさぎたいと思います。

 若月さん佐久病院へ

 若月さんは、太平洋戦争敗戦の年、一九四五年の三月に本館治療棟完成直後の佐久病院の外科医長として赴任されました。先生は、病院で患者を診るだけでなく、劇団部を結成して、十二月には無医村のへき地への出張診療活動を始めました。ここには、東大分院勤務時代に治安維持法で検挙されたことに見られるように、戦前の無産者診療所の運動の影響をみることができます。

 若月院長追放反対運動

 若月さんは四六年、従業員組合を結成、初代組合長に選出されました。組合は、(1)全従業員給料の三倍引き上げ(2)医局と看護婦の人員強化(3)看護婦寄宿生活の改善―という要求書を決議。経営者である県農業会は「組合を解散しろ」「しなければ病院を閉鎖するぞ」と通告してきました。従業員組合は大会を開き、無記名投票の結果、若月さんを新院長に選出し、病院閉鎖の反対闘争に立ち上がりました。県農業会は、若月さんを紹介した東大の大槻教授を訪ね、「若月を替えてくれ」と頼みましたが、けんもほろろに追い返されたそうです。

 五〇年十月、レッドパージに便乗して、またもや県農協(農業会が農協へ)と保守系の県・町村議員は若月さんを追い出しにかかりました。これを知った日農南佐久郡連、青年団、共産党、その他の民主団体が立ち上がり、農民組合は七日間で四万五千名の「若月院長追放反対署名」を集めました。当時の南佐久郡の総人口が十万人弱でしたから、大変な勢いだったことが分かります。当局はなす術もなく、若月院長追放を断念せざるを得なかったのでした。

 「農民とともに」と徹底した現場重視

 若月さんの偉いところは徹底した「農民とともに」という現場主義と、そこに包含された問題に対する先駆性だと思います。出張診療がそれで、当時の農村では「手遅れ」になることが多く、また農民特有の病気があることに着目し、「予防」と啓もうに力を注いだのでした。演劇による啓もう活動もその一つでしょう。

 四七年にいち早く農村医学研究会を佐久病院で開催。こういう活動の中で五二年、日本農村医学会が開催されました。

 変化に敏感、ことの本質を見抜いた先駆性

 そして問題の本質を鋭くとらえる点でも実に先駆的だったように思われます。五三年、私がまだ農業改良普及員だったころ、冷夏で稲熱病が大発生したことがあります。従来のボルドー液では全く歯が立たず、私は自腹覚悟で東京に行き、農業学術雑誌で知ったセレサン石灰を散布する動力散粉機を買って帰りました。セレサン石灰の効き目は大変なもので、それから稲熱病の特効薬として使われるようになり、私の退職後は稲熱病の発生に関わりなく、農協が空中散布を始めました。

 やがて若月院長の「佐久の人の毛髪に水銀剤が異常に含まれている」という警告で取りやめになりましたが、これがなかったら水俣病が佐久でも起きたかもしれません。後年に私が話すまで、若月さんは、水銀剤を使い始めた張本人が私だと知らなかったようでした。

 ハウス病・川の富栄養化など

 五五年ごろになってビニールハウスが増えると通気の良くない暑いハウスの中で農作業を長時間して健康を害する人が出始めました。若月さんは、このように農業の変化につれて農婦(夫)病も変わるということに敏感でした。こうした敏感さは洞察力と現場主義から生まれたものでしょう。その現場主義と先見性、病院の充実が、全国でもトップクラスの佐久市の長寿の基礎になったのではないでしょうか。

 六三年、農村医学研究所が佐久病院に併設され、六六年には動物実験室が完成し、サルによる農薬中毒実験が始まり、千曲川の富栄養化にも目が向けられるようになりました。

 食健連運動で激励

 八五年、長野県下で食健連運動が話し合われているころ、私は若月院長を訪ねて、「表に出て旗を振るというのではなく、影ながら影響力を行使してこの運動と組織の立ち上げに協力してほしい」とお願いしました。すると、「大賛成だ」と激励してくれました。

 医療・福祉の危機のいま

 「農民とともに」というスローガンは、今も佐久病院に残っています。財界の意向をいただく政府が農協をつぶす方針をとっている今、農協の病院はどうなるでしょう。農協の病院だけでなく、医療・福祉が全面的に壊されようとしている今、若月先生は泉下でどんな思いでこの世を見ているのでしょうか。

(新聞「農民」2006.9.25付)
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2006年9月

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