生きる上山 興士
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ぼくは北村光寿 いま二十五歳 ぼくの人生が狂ってしまったのは 大阪でサッカーの公式試合があったとき 高校一年生の夏だった その日台風が近づき まっ黒い雲が広がっていた 「雷注意報」も出され 雷鳴がひびき稲妻も鋭く光った ぼくらは不安になって先生に言った 「こんな天気でもやるんですか」 先生はぼくらの声を聞いてくれなかった 試合がはじまって五分後だった 雷がぼくのからだを突き刺したのは ぼくの心臓と肺は三十分間も止り 二ヶ月も意識が戻らなかった ぼくのお母さんは言った 「たった十六年しか生きていない息子をここで死なすわけにいかない」 家族や病院の先生、ともだちのお蔭でぼくは奇跡的にいのちをつないだ 九年後のいま ぼくは両目から光を奪われ 下半身はマヒし 言葉を失い 車椅子でみんなに助けられる生活だ 好きだった高校も除籍されてしまった 何でぼくがこんな目にあわねばならないのか なんど死んでしまおうと思ったことか 学校も先生もなぜ責任をとらないのか ぼくは両親と一緒に裁判を起した 二度とこんなことが起きないように だが 地裁も高裁も「予見できず責任がなかった」の判決 裁判所まで学校や先生の味方をするなんて 最高裁へまわってから ぼくのお母さんは 毎回毎回上京 無残に裂かれたサッカーウェアをかざして 「息子の体を元に戻して下さい。上告を受理して下さい」 ひるまず あきらめず訴えてくれた 五八〇〇をこえた手書きの上申書 何回も何回も 裁判所へ足を運んでくれた全国のみなさん 最高裁が上告を受理したのはわずか二% 重い扉を少しずつこじ開け ついに「口頭弁論」を開かせた ぼくは車椅子に乗って最高裁の門をくぐる 法廷でお母さんの涙声が聞こえた 「息子の暗闇の心に灯りを与え、一人の人間として 堂々と生きて行くことができるよう力を与えて下さい」 ぼくはいま 大学進学にトライしている 最高裁の判断が示される三月十三日 ぼくは ミッドフィルダーとして ゴールをねらい定め判決を迎える
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判決は、当日の雷鳴・雷雲などの気象状況から「落雷事故は予見できた」と学校側の責任を認め、請求を棄却した二審判決を破棄、審理を高松高裁に差し戻しました。
農民連は、家族と原告団の要請に応え、最高裁への「上申書」運動や申し入れ行動などに協力、「上告受理・口頭弁論」実現に力を尽くしてきました。
[2006年4月]
農民運動全国連合会(略称:農民連)
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