「農民」記事データベース20060123-716-06

  異常気象と食糧生産 》2《
―農業のはなし―

お茶の水女子大学名誉教授 内嶋 善兵衛


異常気象のはしり―暖冬

 昔、麦は大切な食糧であった

 約六十年前、日本の人口は現在の約六三%で、八千万人が生活していました。当時は食料輸入もままならず、国内産だけで生きており、九百万トンの玄米生産量を補うため裏作に広く麦を栽培していました。四麦(小麦・裸麦・二条大麦・六条大麦)の生産量は、図のように一九四〇、五〇年代には四百万トン近くあり、人々は秋の米と初夏の麦の出来に一喜一憂しながら過ごしていました。

 しかし、アメリカからの援助や輸入解禁によって小麦輸入が始まると、国内の麦作は衰退し、一九七〇年代には生産量は五十万トン近くまで低下。「麦作の安楽死」とさえ、一部ではささやかれるようになりました。

 麦作への脅威―暖冬

日本の年気温 一九五〇年代の麦作は人々の台所を支える大きな柱の一つで、麦飯は庶民の活動を支えるエネルギー源でした。ところが、この麦の生育、収量 に大きな心配の種が生まれました。それが図の上半分にみられる一九四〇年代半ばから約十五年続いた平均気温の上昇を背景にした冬の寒さのゆるみ―暖冬です。

 東・西日本の水田裏作の秋まき麦は、栄養成長から生殖成長への移行に一定の低温期間が必要です。冬の寒さのゆるみのために、麦の幼植物の生長が不ぞろいになり、また徒長して寒害にやられることも多くなり、麦の増産が心配されるようになりました。

 日本の温暖化に起因するとは…

 農業関係者は毎年のように発生する暖冬に右往左往させられましたが、それが図に示したような日本の温暖化に起因しているとは知るよしもありませんでした。現在の知識で考えると、一九五〇年代から頻発し始めた暖冬は、いまに続く異常気象のはしりだったのです。
(つづく)

(新聞「農民」2006.1.23付)
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2006年1月

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