9条を守るは最低限のルール
「農林水産九条の会」呼びかけ人 岩手・西和賀農協組合長
佐々木 覓(もとむ)さん
〈プロフィル〉
一九二九年岩手県沢内村生まれ、七六歳。盛岡農林専門学校卒業後、営農指導員として旧沢内村農協に入り、一九七九年から現在まで西和賀農協組合長。「組合長たるもの土から離れてはならず」というモットーに基づき、一・八ヘクタールの田んぼで農作業もこなす。ほかに日本文化厚生農協連合会長、農業・農協問題研究所副会長など。
戦前の罪に償いの思いで中国へ
農業は、人間の命を守り育てるもの、戦争は人間の命を殺しあうもの、相いれませんよね。農業人として、この国を戦争のできる国にしてはならない、九条をなくしてはならないと強く思っています。「軍隊はもたない、戦争は二度としない」という九条を、すべての人が認め合うことは、最低限のルールでないでしょうか。
私は、「中国黒龍江省方正県特別高級農芸師」という肩書きをいただいています。黒龍江省には戦前、日本人の開拓団がたくさん入植していました。
私の村に藤原長作さんという篤(とく)農家がいましたが、この人は、稗(ひえ)や粟(あわ)しか取れなかった沢内村の土地を、米が豊かに採れるまでに品種改良や耕地の改良を苦心してきた人です。この藤原さんと一緒に、一九八一年ごろから黒龍江省方正県へ、日本の水稲栽培の技術を伝えに旅立ちました。
中国の田んぼづくりは、当時、水田に種もみを直播する原始的な農法でした。冷害に強く、収穫も高い保温折衷苗代は、理解してもらうまで大変でしたが、この日本式農法の導入は米作の機運を一気に高め、方正県の田んぼの面積はわずか五年間で七倍になりました。現在、藤原さんは「日中友好水稲王」として知られています。こうした活動に取り組んだのも、戦前の日本が中国に侵略し強奪した罪に対する償いの気持ち、二度と戦争をしてはいけないという思いからです。
「農協攻撃」強まる中、運動強化を
私たちの農協では現在、雪を利活用する「西和賀型複合農業」の可能性を追求しています。「西和賀型複合農業」とは、積雪、冷害の常襲、和賀川の水源という当地の自然条件の活用と、消費者との連携が柱です。稲作を基本にリンドウなど園芸作物の栽培や牛乳、野菜の産直販売に取り組んでいます。
沢内のリンドウは県内で二番目の生産高を誇っています。今から三十年ほど前、休耕田で栽培する作物を模索していたとき、山から野生のリンドウを掘ってきたことから始まりました。
「農協攻撃」が強まるなか、日本人の命と日本列島の豊かな生態系を乱さず振興する、二十一世紀の農協運動を改めて進めなければならないと思います。
(新聞「農民」2005.9.26付)
|