「農民」記事データベース20050411-679-10

長野 佐久市

地域を元気づける佐久鯉復活へ

“本物の味”を再びと鯉人倶楽部が取り組み

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 長野・佐久市の「佐久鯉(こい)」といえば、全国ブランド。身がしまり(鯉こくをはしで突っついても崩れない)、泥臭さもありません。今、この味を復活させるとりくみが始まっています。


8割を他県産たのみ

 佐久鯉の歴史は、江戸時代にさかのぼります。一九三〇年代には生産量が千トンを超え、全国一位を誇ったことも。しかし最近は、霞ケ浦で養殖された茨城産などに押され、ピーク時の五分の一に落ち込んでいます。

 佐久鯉のおいしさの秘密は、きれいで冷たい水。冷水でじっくり育てるから、引き締まった肉質になるのです。そのかわり、温暖な地域では二年で出荷できるのに対して、佐久は三年かかり、卸値は他県産の二倍以上になってしまいます。

 また、佐久鯉は稲作と深いかかわりがあります。最盛期のころの育て方は、夏は鯉を田んぼに放し、除草させながら育て、冬はわき水の入る池などで越冬させる「水稲田養殖鯉」という方法でした。戦後、養蚕が廃れるとともに水田養鯉も廃れ、区画整理などでも乾田化に反対する声もなく、当歳(とうざい)鯉(その年に生まれた鯉)の越冬に欠かせないわき水の入る池も減り、除草剤の普及も拍車をかけました。

地元農産物のPRや観光・飲食業への波及期待

 こうした佐久鯉を復活させる気運が高まったのは、市内の小学六年生が作ったリポートと市への要望書がきっかけです。児童たちは、佐久鯉を調べ、市民へのアンケートも行い、「市のシンボル・佐久鯉をもっとアピールして」と要望しました。

 これが話題になるなかで、「佐久鯉人倶楽部(こいびとくらぶ)」(写真下〈写真はありません〉)が、昨年二月に発足。なんとそれは農協でも農民運動でもなく、佐久商工会議所の呼びかけでした。つい最近まで専務理事で発案者だった森泉喬三さんは「“佐久といえば鯉”といわれるのに、八割が他県産という状況を放置していいのかという思いがあった。それに、佐久鯉の復活は、佐久産農産物のPRもなり、観光や飲食業への波及効果も期待できる」と話します。

 新聞折り込みで会員を募集したところ、予想の二倍、百三十人の申し込みがあり、会員は昨年、ボランティアで、産卵用の藻の採取や鳥よけ用の糸張り、鯉の越冬池への移動(写真上〈写真はありません〉)などにとりくみました。この成功に、森泉さんは「地域を元気づけるには、まず住民自身がこのまちに住んでよかったと思うことが大事」と目を細めます。

 「小学生に背中を押された」と苦笑いするのは、佐久鯉の発祥地、桜井地区で三ヘクタールの田んぼを耕作する臼田義之さん。桜井農民組合の組合員です。臼田さんは、商工会議所の依頼を二つ返事で引き受け、昨年、ボランティアを受け入れて佐久鯉を育てました。

 「今年は地域に呼びかけて、二年目の鯉を飼ってくれる農家をもっと増やしたい」と臼田さん。復活のとりくみはまだ始まったばかりですが、地域への思いは確実に住民の心に広がっています。


越後路に春を呼ぶ(2題)

新潟農民連 松井 三男

 フキノトウ

 山間地はまだ雪の中。蒲原平野は、ポカポカ陽気と思ったら、時折なごり雪があったり…。わが家のフキノトウ(写真上〈写真はありません〉)は元気よく頭をもたげ、日を受けて輝き、春の香りを放っていました。

 白鳥の北帰行

 「白鳥の湖」で知られる、阿賀野市(旧水原町)の瓢湖。周辺の水田をめぐったら、いたいた(写真下〈写真はありません〉)。北帰行の途中で立ち寄ったらしく、腹ごしらえしたり、低空飛行を繰り返していました。

(新聞「農民」2005.4.11付)
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2005年4月

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