スマトラ島沖地震・インド洋大津波
被災した子どもたちは希望を取り戻せるか?
インドネシアでの復興会議に出席した
メキシコ人のチャベズさんからの手紙
インドネシアで開かれた復興会議で知り合ったメキシコ人のクワウテモク・アバーカ・チャベズさんから農民連本部にメールが届きました。大津波で親を失った孤児を保護する「ペザントラン」の活動を紹介し、支援を呼びかけています。その大要を紹介します。
孤児に宿や食料、教育を提供して
インドネシアの社会では、地域と国の結びつきを強化する独自のシステムがあります。伝統的な学校システム「ペザントラン」は、そのなかでとても重要な役割を果たしています。「ペザントラン」は、貧しい子どもや孤児たちに宿や食料、教育を提供しています。学校としての役割だけではなく、家族を失って苦しむ子どもたちが、安らげる場所でもあるのです。
インドネシアで私は一つのグループに巡り合いました。最も津波被害の大きかったアチェ州の北部にある「ウスワタン・ハサナー孤児教育センター」は、「グエドンのペザントラン」として知られています。所長はテンクー・カット・マレム。海から四百メートルほど離れていたこの「ペザントラン」には、百十五人の孤児がいて、三つの寮、大きな調理場、食堂、洗濯設備、いくつかの教室、大きな庭がありました。
すばやい判断と行動で全員無事
十二月二十六日の大地震直後、テンクーは、巨大な波が沿岸を襲い、海水が農地に広がるのを見ました。この現象がどういったものか考える時間もなく、テンクーはとっさに大声で、泣いている子どもたちを呼び集め、二階建ての寮の屋上に避難させました。彼のすばやい判断と行動によって、建物は破壊されたものの、子どもたちは全員無事に津波をやり過ごすことができたのです。
しかし、子どもたちを助けている間に、テンクーはかけがえのないものを失いました。子どもたちを避難させることで頭がいっぱいで、同じ施設に住む自分の母親、妻、子どもたち、家族全員が亡くなりました。
現在、大きなテントに暮らす子どもたちの世話で、テンクーには家族の死を悲しんでいる余裕がありません。子どもたちの笑顔を再び取り戻すために、食料の確保など、彼がやらなければならないことはたくさんあります。
約十万人の子が大きな犠牲に…
アチェ州は、米やココナツなど多くの農産物を生産し、豊かな漁業が営まれる地域です。津波が襲う以前に訪れた人々は、景観の美しさと住民のあたたかさに迎えられたでしょう。しかし、同時に、この地域は、インドネシアからの独立を求めるゲリラ集団、自由アチェ運動(GAM)と重装備の政府軍との長年の衝突によって、常に苦しみと死がそばにありました。長年続く紛争によって両陣営に多くの死傷者が出たばかりか、多くの孤児が生まれ、「グエドンのペザントラン」は、こうした子どもたちを保護していたのです。
私たちは、テレビを通じて津波の破壊力を知ることができても、被災者の苦しみや痛みを感じることはできません。もっとも苦しんでいるのは、子どもたちです。約十万人の子どもたちが犠牲になり、何千もの子どもたちが家を失い、孤児になりました。
ペザントランの再建資金をぜひ
私たちには、被災した子どもたちが、人として当然持つ希望を取り戻すことができるよう支援する責任があります。以前は紛争犠牲者で、いまは津波の犠牲者にもなった子どもたちは、温かい援助を必要としています。
「ペザントラン」の再建には、最低約三万アメリカドル(日本円でおよそ三百二十万円)が必要です。より多くの資金を得られれば、津波によって新しく生まれた多くの孤児たちも世話することができます。
この「ペザントラン」に一番近い学校は七キロも離れ、子どもたちは通学のために自転車が必要です。百五台あった自転車が、いまはわずか五台しかありません。多くの資金を得られれば、津波によって失われたペンやノート、鉛筆、制服、かばんなども再び子どもたちの手に取り戻すことができます。
子ども救う大きな世界の流れに
親愛なる新聞「農民」読者のみなさんが募金してくれれば、子どもたちに希望を取り戻すことができます。家族や親類、友人、恋人、所属する組合や組織に働きかけ、子どもたちを救う大きな世界の流れに参加してください。子どもたちの希望は私たちに託されているのです。
「ペザントラン」再建募金送り先
郵便総合口座一〇〇三〇―六一六七一七一一
通信欄に「ペザントラン」と記入し、「農民連災害対策本部」まで
(新聞「農民」2005.4.4付)
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