スマトラ大地震・津波
国際連帯の力で被災農民・漁民の生活再建を
復興地域会議に11カ国20組織
具体的救援策めぐり熱い討論
国際連帯の力で、空前の大災害に苦しむ農民と漁民の生活再建を――世界的な農民運動組織であるビア・カンペシーナは二月十七〜十九日、インドネシア・北スマトラのメダンで「農民と漁民の生活を復興し発展させるための地域会議」を開き、二十〜二十一日には地震と津波の直撃を受けたアチェ州を視察しました。
会議にはアジア、ヨーロッパ、中南米の十一カ国二十組織から八十人が参加。日本からはビア・カンペシーナの招待を受けて塩崎賢明神戸大学教授(兵庫県震災復興研究センター代表)と農民連代表(真嶋良孝副会長、福伝活人国際部員)が参加しました。1面を真嶋が、4〜5面を福伝がリポートします。
最大被災地アチェを視察
救援活動リアルに
会議が開かれた北スマトラは震源地アチェに隣接する州。同時に、インドネシア農民組合連合(FSPI)の最大の拠点でもあります。
犠牲者への黙祷で始まった会議では、インドネシア、スリランカ、インド、タイのビア・カンペシーナ加盟組織と漁民組織から被災の状況と救援活動の様子がリアルに報告されました。また、日本からは塩崎教授が阪神・淡路大震災復興の経験と問題点を、真嶋が農漁業被害の復興の経験を報告しました。
このほか、国連食糧農業機関(FAO)のインドネシア事務所の代表の報告や、プログラムにはなかったのですが、インドネシア農業大臣からも報告が行われるなど、会議は被災者への連帯の表明と同時に、具体的な復興策をめぐって熱い討論の場になりました。
復興の“妨げ”に…
印象に残ったことはたくさんありますが、その一つは被災直後の模様をリアルに撮ったビデオでした。白い発泡スチロールの箱に納められた幼児の遺骸、亡くなった少年の泥まみれの上半身を水で洗い流す親の姿……。視察したアチェ州の州都バンダ・アチェでは、一カ月前までは私たちが走る国道沿いに遺体がずらりと並んでいたという説明とともに、被害の悲惨さに言葉を失いました。
二つめは「アチェは米の自給が十分可能なのに、国連機関が正体不明の“援助米”を輸入し、それが農民の復興の妨げになっている」という強い批判です。農業大臣もこの批判を意識して「政府は、国連機関にこれ以上米を輸入させないことを約束する。インドネシア国内から米を集める」と言明しました。
休憩時間に「津波被害後も本当に自給できるのか?」と確かめたところ「大丈夫だ」との返事。それでもまだ疑問を抱きながらアチェ州に入って、疑問はほぼ氷解しました。区画も整理され、やや細めの用水路が走るアチェの水田風景は、日本の平地水田かと錯覚させるほど豊かです。平地林の樹木がヤシやバナナであること、一時間も走ると稲刈りと田植えが同時期に行われている光景が、熱帯であることを想い起こさせてくれます。
同時に、海が見え始めると途端に畦や用水路が無残に破壊された水田が目に飛び込んできます。被害を受けていない水田の豊かさと被災水田のコントラストが地震・津波被害の巨大さを物語っています。
「私は海が好きだったが、いまは海が憎い」。私のつぶやきを、ビア・カンペシーナ・インターナショナルの責任者でFSPI委員長のヘンリー・サラギ氏は静かに聞いていました。
農民連の贈ったトラック
国際的支援のシンボル
三つめは、ヘンリー・サラギ氏がビア・カンペシーナを代表して行った報告で「日本の農民連がトラックを贈ってくれた。メキシコからの支援とともに、これは国際的な支援のシンボルとなるべきものだ。国際的な農民・漁民の連帯が重要だ」と強調したことです。
会議が始まる前に、FSPIのインドラ・ルービス氏が私に抱きついてきて「トラック、トラック」と連発したのを含め、私たちが恐縮するほどの感謝ぶりでした。
会議の内容と今後の方針を記した「地震・津波大災害後の農民と漁民の生活を再建するための宣言」(メダン宣言)には、原案になかった「農産物輸送の設備を確保するため、農民組織が協力することが重要である」との表現がもりこまれましたが、私たちが贈ったトラックは、単なるトラックを超えた「シンボル」として被災地アチェを走り回っています。
正常値の十倍近くという塩害に侵された水田の復興や住宅の再建など、本格的な災害復興はこれからです。国際的な連帯をさらに強めることが求められています。
(新聞「農民」2005.3.14付)
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