「農民」記事データベース20050207-670-04

私と憲法


 長野・木島平村

   高山すみ子さん(81歳)


風化などさせてはならじ

この史実語り継がねば誰が知るべし

 当時の政府は、国策として、中国東北部・満州へ三十万人余りの移民、開拓義勇軍を送り出しました。「五族協和」「天道楽土」の理想を掲げましたが、中国側から見れば、土地を奪った侵略者にほかなりません。

 敗戦で、棄民(きみん)となった開拓団から大勢の犠牲者が出ました。開拓義勇軍として送られた私たちは、国策を心から信じていましたが、敗戦直後から暴徒の襲撃が始まり、逃げ惑う女性や子どもの悲鳴がいたるところであがり、一瞬にして地獄と化したのです。

荒野を逃げ惑う 北満特有の雨に打たれて、暴徒が振り回す鎌に首をもがれる人、右目を竹槍で刺され左の耳に抜けた女性、そのそばで泣く子。お母さんが死んでしまった子どもが寄り添ってきて、「連れて行って!」とすがりつきます。しかし、その子に道で拾ったイモを与えて、その場を立ち去らざるを得ませんでした。

 私たちを守ってくれると信じていた関東軍は、もぬけの殻、開拓民は荒野を逃げ惑ったのです。子どもは飢えて泣き、年老いた人たちは、自らの手で命を絶ちました。

 この時ほど国を恨んだことはありませんでした。敵の戦闘機や戦車に追われ、飲まず食わずの逃避行。背負った子には、木の芽や草の葉を食べさせました。二人の子どもの重みが肩に食い込む苦しさに耐えながら、子どもだけは助けたいと歯をくいしばりましたが、それもむなしく二人の子どもは次々と犠牲になっていきました。

流した血や涙が… 私は御仏の前に「過ちは繰り返しません。許してください」と悔い、ご飯やミルクを供えてわびる毎日です。

 日本国民は、「二度と過ちは繰り返さない」と誓ったはずなのに、憲法九条を無視してアメリカの言いなりに、イラクに自衛隊を派遣して他国の戦争に手を貸す小泉内閣に腹が立ってなりません。

 満州開拓の後始末もせず、残留孤児問題やシベリア抑留問題など、数々の問題が未解決のままです。敗戦から六十年、苦しかった逃避行、寒かった野宿、その中でみんなが流した血や涙がいつか実り、不戦の誓いとなることを信じています。

(新聞「農民」2005.2.7付)
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2005年2月

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