私と憲法
広島県杉本 隆之さん(75歳)(広島県農民連会長)
満蒙義勇軍は侵略への道だった“9条守れ”の声は屍の供養私は島根県で、農家の六男坊として生まれました。国民学校高等科(当時十四歳)を繰り上げ卒業し、校長の推奨で国策の満蒙開拓青少年義勇軍に志願。「お国のため、天皇陛下のため」と信奉し、島根中隊の一員として内原義勇軍訓練所に入所。時あたかも日米開戦の年の春でした。
開拓に名を借りて三カ月の特別訓練を受け、あこがれの満州へ。ソ満国境の東安省密山県で、国境守備の任につき、関東軍による常時軍事訓練が日課となりました。日々の訓練と農作業のなかで、現地の中国人に対して日本軍の行った行為は、とても満州国を守るといったものではなく、非情極まりない強奪・強姦・暴力などの蛮行です。義勇軍は開拓に名を借りた侵略戦争への道だったのです。終戦後、ソ連軍の侵攻、飢えと逃避行のもとで、多くの同胞が殺され、栄養失調で死んでいきました。逃避行の中で、幼な子が親に見放され泣き崩れる様子を思い出し、日中合作の映画「大地の子」を涙なくして見ることはできません。こうした体験が、私の心を大きく変えました。 終戦直前の八月十日、満州・東安駅でおきた牡丹江列車爆破事件は、開拓団員や一般邦人を乗せた最終南下軍用列車が軍の足手まといになるとの理由で関東軍によって爆破された事件です。「八紘宇宙」「五族協和」など、当時の国策スローガンや戦争教育の恐ろしさを二度と繰り返してはなりません。
9条を葬る策動が…いま、小泉首相は戦犯をまつる靖国神社参拝に固執し、日本を再び戦争する国にするために、九条を葬り去ろうとしています。ハルピン難民収容所では、零下三十五度のもと、何千という同胞が飢えと病気で死にました。戦後五十九年経って、私の心の奥深くから出てくる「憲法守れ」「農業守れ」の声は、仏にもなれなかった名の知れぬ屍(しかばね)への、何よりの供養だと思っています。
(新聞「農民」2005.1.24付)
|
[2005年1月]
農民運動全国連合会(略称:農民連)
本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
〒173-0025
東京都板橋区熊野町47-11
社医研センター2階
TEL (03)5966-2224
Copyright(c)1998-2005, 農民運動全国連合会