「民謡界」の枠にとらわれず「民謡」の復活へ向けて
舞台狭しと歌い踊るエンターテイナー伊藤 多喜雄さん〔プロフィール〕
若い人たちからお年寄りまで心をゆさぶる「多喜雄の民謡」。全国各地のステージで公演するかたわら、横浜・野毛の大道芸も欠かさない多喜雄さん。その生い立ちから民謡への熱い思いをお聞きしました。
中越の皆さんがんばって!新聞「農民」読者の皆さん、明けましておめでとうございます。昨年は多くの人たちが台風と地震で大きな被害を受けました。この寒さの中で困難を迎えている災害地の皆さんのことを思うと、一日も早い復旧を心から願わずにはおられません。中越大震災では北海道女満別の私の「TAKIO農場」から無農薬のジャガイモとカボチャをそれぞれ百五十箱お送りしました。山古志村や川口町の皆さん、中越の皆さん頑張ってください。
「俺が応援団になろう」と民謡の「唄さがし」で各地を旅していると、草ぼうぼうになった田畑をたくさん見ます。減反と高齢化による耕作放棄地なんですね。ところが網走と女満別で無農薬農業を始めている若い人たちに出会ったんです。アトピーの子を持つ親たちなどで、最初五十人くらいだったのが、現在十五〜六人になっても頑張っている。「じゃあ、俺が応援団になろう」と仲間に入りました。 今の農場は二町歩ですが、今年一町歩増やして最終的には五町歩にと考えています。イモやカボチャの採り入れや箱詰めなどには町のお年寄りが手伝ってくれます。リタイヤしたとはいえ「農業の先輩」ですから助かっています。
民謡酒場が私の「教室」に民謡は小さい頃から好きで、小学四年の時には苫小牧の「民謡酒場」に出演していました。その頃、北海道で民謡の「先生」と言われる人は皆無で、クラシックが好きならピアノや声楽の教師に教えてもらうのでしょうが、家が貧乏だったのでお金もないし、先生もいなかったので、民謡酒場が私の「教室」になったのです。中学生の時、うちの校長が校長会の“流れ”でたまたま民謡酒場に来たんです。こっちも驚きましたが、校長もびっくりしたんでしょう。翌日、校長室に呼ばれ、叱られるかと思ったら「きみ、学生服の上に法被を着ろや」と言うんです。 その地域で、どんな暮らしをしている家か分かるし、中学生でも一人前に働いていれば「対等」に扱ってくれました。
「沖あげ音頭」がソーラン節の元北海道の代表的な民謡といえば「ソーラン節」や「江差追分」などを挙げられる方もいますが、私が民謡酒場で歌っていた頃は大部分が「津軽民謡」でしたよ。そもそもソーラン節というのは、青森などから出稼ぎにきた「やんしゅう」が「沖あげ音頭」として歌ったのが始まりです。船を出す時の唄、櫓(ろ)を漕(こ)ぐ唄、網をたぐる唄、返りの櫓を漕ぐ唄、陸に上がって網を干す唄と、全部の作業の時に歌うのが「沖あげ音頭」です。その中で「鰊(にしん)を網から船に揚げる唄」がソーラン節となったのです。 これらの船には「波声(はごえ)船頭」という人がいて、作業が移る時に唄を変えるんです。行きの櫓を漕ぐ時はテンポも早く、返りは疲れているのでゆっくりと歌います。当時は時計がわりにもなっていたようです。漁師の労働歌ですね。
板金工をしながら民謡修業中学を出てから集団就職で上京し、港区芝白金三光町の板金工場に勤めました。最初の一カ月間ほど「新人教育」のための講習会があったのですが、その公民館のどこかから三味線の音色が聞こえてきたんですよ。うれしかったですね。講義のあと民謡教室をのぞかせてもらったら、「一曲歌ってみては」と言われました。歌ってみたら皆さん拍手、拍手でした。その人たちが周りの人に声をかけてくれ、私の唄を聞いてくれる人の輪が十人、二十人、四十人と倍加して、民謡の先生方にもうわさが届き、知り合いになりました。それから、どんどん出演する機会が増えてきたんです。その時も昼間の労働は続けていました。
唄に心こめて表情も豊かに民謡というと三味線、太鼓、尺八などの伴奏で歌う――のが普通の形になっています。ところが私は二十年前に「TAKIO BAND」を結成し、民謡を現代的にアレンジしてライブ活動を始めました。初めてステージを見て聴いた人は「これが民謡か?」とびっくりしたでしょうね。その六年後には「ソーラン節」でNHKの紅白歌合戦に出場し、日本共産党の「赤旗まつり」にも出演したり、イギリスのリバプールで公演するなど活動の舞台が広がってきています。 今、若い人たちの間で「YOSAKOIソーラン」が人気を集めていますが、高知の「ヨサコイ節」と北海道の「ソーラン節」が一緒になった元気のいい「新しい民謡」です。私は昨年「佐渡おけさ」と「新潟おけさ」をアレンジして、新しい「おけさ節考」というものを作りました。 うれしい唄、かなしい唄、恋の唄、労働の唄――それぞれの唄を心をこめて表情豊かに歌いたいと思っています。ぜひ応援してください。 (聞き手)角張英吉 (写真)関 次男
(新聞「農民」2005.1.3付)
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[2005年1月]
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