災害にもまけず、雪にもまけず…“がんばれ!!新潟”新潟県中越大震災二〇〇四年十月二十三日、午後五時五十六分―。ドーンという大地を揺るがす激しい衝撃が、新潟県中越地方をおそいました。家屋は倒壊し、土砂が道路を寸断し、四十人の尊い人命と多くの財産を奪いました。農林水産業への被害も千三百億円を超え、いま「雪の降り出す前に」と懸命の復旧が進められています。
農民連の青年たちコシヒカリの里で「激励のもちつき」一日も早い復旧・復興をつきたてのもち食べてネバって山形・置賜農民連の青年たちは早朝四時にたち、茨城・県南農民組合の青年は前夜、湯沢で仮眠するなどして、長岡市の医療生協前の駐車場で地元の県農民連・県央センターが毎週日曜日に開いている朝市に合流しました。地盤の崩壊で家屋の全壊が多く出た市内の高町団地に、約五百パックのきな粉もち(一パック三個入り)を配るため、もちをつきます。「もちを食べてネバってがんばれ!」と、杵を持つ手にも力がこもります。 パックには、「心からお見舞い申し上げます。全国から支援と救援物資が送られてきています。みなさんの避難生活に役立ててください。農民連」とのメッセージも。地元の県央センターの人たちも手伝ってくれましたが、全部つき終えるころにはすっかり昼近くになりました。 つきたてのきな粉もちと山形から持ってきた古代米入りの甘酒、煮込み玉コンニャク、ゆで卵を、日本共産党の救援ボランティアの人たちが用意した豚汁といっしょに、高町団地の公民館前で配ります。この団地は約五百戸の閑静な住宅地ですが、山を切り開いて造成したため、特にがけっぷちに面した外周の一戸建て住宅の地盤やのり面が崩れ、家の周りのコンクリートはずたずたに亀裂が入っています。 また、「危険住宅」や「要注意住宅」という張り紙が張られ、損壊の恐れのある家も多く、近くの学校の校庭には仮設住宅がならび、被害の大きさを肌で感じます。
春には米づくりができるよう…強風が吹く底冷えする日でしたが、鍋を持って待つ人の流れはすぐに長い行列になり、用意したきな粉もちや豚汁、玉コンニャクなどは、あっという間になくなってしまいました。そして「ありがとうございます。本当に助かります」と、何度もお礼を言って帰っていく被災者たち。ボランティアにはじめて参加した茨城の山口徹さん(31)は、「厳しい冬を向かえ、被災した方々はこれからの生活に不安そう」と感じました。また山形の高橋哲郎さん(22)や石澤芳彦さん(21)は、「炊き出しに並んでもらってうれしかった。本当に大変だと実感した」、「感謝され、来てよかった」と話します。一方、渡沢寿さん(30)は、「現地からのくわしい情報があれば、もっと満足していただける準備ができたのでは」とも。 二〇〇四年「今年の漢字」は「災」でした。二〇〇五年こそ「災い転じて福」となるよう、被災した人たちが一日も早く通常の暮らしを取り戻すことを願わずにはいられません。そして春には、畑や米作りができるよう、復旧・復興が急がれています。
(新聞「農民」2005.1.3付)
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[2005年1月]
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