「農民」記事データベース20041220-665-03

私と憲法


 群馬県

   阿部 三久さん(76歳)(群馬県連元副会長)


見せしめに首はねられた脱走中国人

戦車に飛び込む自爆訓練

 私は、一九四五年、十八歳のときに志願して、霞ヶ浦にある海軍の予科練に入隊する予定でした。最初の志願は、十六歳でしたが不合格。特に記憶に残っているのは二回目の志願で、教官に呼ばれ「お前たち四人は家に帰れ。一生懸命百姓をやれ」と言われ、すごく衝撃的でした。この四人はすべて農家の長男です。この時入隊した人たちは、沖縄戦までに多くが戦死しました。そして三回目に合格したのですが、入隊の十二日前に終戦を迎えたわけです。

 教官棒でたたかれ

 私は農林高校に通っていましたが、勤労奉仕と軍事訓練の毎日でした。東京が初めて空襲された日に、赤城山の上空に飛行機雲が何筋も流れるのを見て、「あれは日本の飛行機じゃないぞ」と言ったら、配属将校に思いっきり「教官棒」でたたかれ、今も右目の上の額がへこんでいます。また、クラスの全員が北海道に勤労奉仕に出かけることになったとき、「おれは勉強するために学校に来たんだ」と言ったら、一人残されて毎日出征兵士の農家を回って勤労奉仕させられました。

 当時、このあたりでは、中国人がたくさん強制連行され、中島飛行機製造所の地下工場や発電所づくりをさせられていました。中国人は腰縄で数珠つなぎにされ、やせ細ってやっと歩けるくらいでした。私も、勤労奉仕で同じ作業にあたりましたが、絶対に言葉をかわしてはいけなかったし、手を貸そうものなら、ぶんなぐられました。ある日、逃げた三人の中国人狩りが行われ、私も銃を持たされました。結局つかまって、見せしめとして利根川の河原で首を切られたのです。

 敗色も濃くなった七月半ばには、村に残っている男子が狩り出され、敵の戦車に爆弾を抱えて飛び込む、「自爆」の訓練をさせられました。

 戦争する国には

 いま、この地域では、「利根沼田九条の会」を来年一月に発足させようと、呼びかけ人をつどい、署名にも取り組んでいます。呼びかけ人には、イラクへの自衛隊派兵に抗議して自民党を離党した人や、社民党の現職議員など広範な人たちが集まっています。二度とこの国を戦争する国にしないためには、憲法九条を守ることです。私は当時を知る者として、一人でも多くの人たちと手を取り合って、この運動を進めていきます。


自分の言葉で憲法への思いを語ってみませんか?

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(新聞「農民」2004.12.20付)
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2004年12月

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