“野猿”は人力ロープウエー
奈良・十津川村
昔 荷物運び渓谷渡り
今 観光用で活躍
野猿(やえん)とは、つり橋が架けられる以前に使われた川を渡る原始的な道具で、はじめ箱舟と呼ばれていたそうです。大正末期ごろから、猿が木の蔦(つた)を伝っていくようすに似ていることから、この名が付けられました。
この「野猿」(写真〈写真はありません〉)がいまも観光用として使われているところがあります。それは、奈良県十津川村です。和歌山、三重両県に接し、紀伊半島のほぼ中央にあり、その面積は琵琶湖とほぼ同じで日本一面積の広い村です。
この十津川村にある「野猿」は、特有の「人力ロープウエー」(長さ七十メートル)で、川の両岸から張ったワイヤロープでつり下げられた「やかた」に乗り、自力で引き綱をたぐり寄せるもの。つり橋がかけられるまでは、荷物の運搬や渓谷を渡るために村内各所で利用されていました。中央を過ぎると上がりこう配になるので、向こう側に近づくにつれてたいへんな力が必要です。昭和十三年(一九三八年)には四カ所ありましたが、鉄橋やコンクリート橋に架け替えられ、今では観光用に二カ所が残っているだけ。
ほかの地方では、徳島県東祖谷山村でミツマタを生産する農家が、最近まで使用していました。また、この村にも観光用に一カ所ありますが、それは十津川村と姉妹村になっている関係で見習って作ったそうです。
古くは、越中や飛騨地方など日本各地の山間で使われていた「野猿」。また海外でも、ペルーのアンデス山中で原住民が使っていたり、ヨーロッパでも盛んに利用され、ルネサンス当時の技術書にも掲載されているそうです。
(十津川村観光課のご協力をいただきました。愛媛・菊間農民組合 大道法幸)
(新聞「農民」2004.10.25付)
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