「農民」記事データベース20040920-652-11

忘れてはならない8月15日

証言 私の戦争体験


戦争教育に抗した勇気ある父の影響

強制された予科練を拒否

 兵庫県 上野宏樹さん (75歳)

 私の旧制中学時代は、戦争の真っ只中でした。

 小学校の先生をしていた父は、教え子の出兵に対して、「敵でも人を殺してはいけない。君はお母さんのために帰って来い」―これが送別の言葉でした。当時は、「天皇陛下のために戦死せよ」という戦争教育をしている時代ですから、勇気のいることでした。

 こうした父の影響があって、私は「大宇宙の中の地球で、瞬間を生きる人間同士の殺し合いはよくない」という作文を書いたために、学校側から神風特攻隊の練習生「予科練」に志願するよう強制されました。私は最後まで拒否しました。このため、卒業するまで勤労学徒動員で阪神地域の軍需工場へ働きに行き、本土決戦のための迎撃陣地の建設を強いられました。だから八月十五日の敗戦が、学徒動員から解放された「私の卒業式」と思っています。

 父は戦時中、「学芸会の内容が、戦争協力でない」などの変な理由で教職を追われ、町の中でただひとり英語が話せるということで、「スパイではないか」と警察関係が家の周りを監視・巡回するようになりました。父は敗戦直後、亡くなってしまいましたが、復員してきた教え子は、「先生の教えどおりにせっかく帰ってきたのに」と、遺影の前で泣いていました。

 戦後、近所の空き地に少しばかりの野菜を作りましたが、それだけでは足りず、野草やドングリを団子にして食べたり、青物市場で捨てられた野菜をもらったりして飢えをしのぎました。空腹の時代を生きた者として、いまの「食」にかかわる問題には貪欲なほど関心があります。

 いま、東京都は「君が代を歌わなかった」「日の丸に起立しなかった」と先生方を処罰していますが、憲法九条の改悪と相まって、私の青年時代の「忠君愛国」教育を復活させようという動きが、顕著です。戦争を体験した者として、憲法や教育基本法が、あの戦争の反省の上にたって作られたことを、多くの人たちに語っていかなければと思っています。

(新聞「農民」2004.9.20付)
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2004年9月

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