横浜港内にムシロ旗はためく海上デモから20年 板倉隆港湾委員長に聞く労・農の画期的な共同今年は、一九八四年七月十五日に韓国米の輸入に反対して、はじめて横浜で海上デモが取り組まれてから二十年目となります。そこで、この運動の中心を担ってきた港湾労働組合の板倉隆委員長にインタビューしました。
輸入農産物調査、消費者の港見学…日本の農守る運動急速に広がる韓国米の輸入に反対して――まず、海上デモが始まったきっかけを教えてください。板倉 韓国米が輸入されるということで、農民のみなさんが反対しているときに、港にあるまともな労働組合が何もしなくていいのか、ということで、七隻ぐらいの船を出して海上デモをやろうと計画しました。 ちょうどこの時、東京千代田区では米価闘争がたたかわれていて、全国から農民が集まっていたわけです。そして、我々の海上デモの話を聞きつけた東北の農民二百人が参加したいと申し出てきて、まさに農民と労働者による画期的な海上デモになったのです。
農民200人の参加で大規模に――当時の様子を覚えていますか?板倉 えー、よく覚えています。横浜の海上保安庁と水上警察署に、当初七隻・百五十人規模のデモを届け出していたのですが、十二隻・三百五十人規模に変更しなければならなくなりました。普通だと、申請の出し直しということになるのですが、たまたま東北弁の強い警察官が事務処理の担当で、訂正のハンコだけですみました。そのとき、その警察官が「たまには労働組合もいいことやるな」というんです。警察官にほめられたのは、この運動だけですね。 当日は、通船というんですが、小型の船に乗るのははじめての農民がほとんどだから、海に落ちるようなことがあっては大変と、うちの組合員を二人付け、ロープをはったりしましたね。東北の農民は、ムシロ旗を持って集まってきました。非常に規律がしっかりしていて感心しました。
いま農業問題は重要な闘争課題――その後、この海上デモは、七月の米価闘争には欠かせない取り組みとなり、「米価闘争は横浜にあり」なんて、言われましたね。労働組合のなかにも、農業や食料に対する取り組みに変化が出ましたか?板倉 海上デモのあと、交流会で農民の苦労がたいへんよくわかりました。一方、うちの組合員からも「米だけじゃない。港には外国から輸入された農産物がひどい状態じゃないか」という意見が出ました。そこで、役員が現場を調査してみると、真っ赤に錆びたドラム缶に入った野ざらしの農産物が放置されていたわけです。この調査結果が、「恐るべき輸入食品」(合同出版)という本になり、さらに消費者から「港の実態を教えてほしい」という話が相次いで、港見学にもつながっていきました。 当初は、なんで港湾労働者が農業問題に取り組んでいるのかと、しらけた目でみられていましたが、いまでは欠かせない重要な闘争課題です。また神奈川県内でもこの運動が広がり、一九八九年に「国民の食料と健康、日本の農業を守る神奈川会議」(神奈川食農健)が結成され、いま三十三団体が加盟、毎月一回の幹事会は欠かしたことがありません。援農や豆腐づくりなど、いろんな行事を行っています。
10月に海上デモ、シンポを計画――今年で二十年になりますが、記念行事など計画がありますか?板倉 海上デモは、七月の米価闘争がなくなってから行われなくなりました。しかし、海上デモの取り組みは、農業・食料問題を農民だけの問題ではなく、国民のレベルまで高めたということがいえます。今年は二十年目にあたりますから、食健連の企画で十月に海上デモとシンポジウムを計画しています。これを機に、食健連の運動がさらに発展するよう期待しています。
(新聞「農民」2004.8.9付)
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[2004年8月]
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