「農民」記事データベース20040524-636-08

キューバ紀行(4)


有機農法による自給の道を

 キューバ農務省の玄関を右に入った図書室。ここがユアン・ホセ・レオン・ベガ国際部長(写真〈写真はありません〉)との会見の場となった。「本当は十八階の私の会議室を用意したが、エレベーターが故障です」と、笑って迎えてくれた。

 キューバは、約十年前に「農業革命」ともいえる大改革を実現した。第一に、一九九四年十月から配給制度をあらため、農家の作付け計画から試算した生産量の八〇%を国が買い上げ、残り二〇%は、農業市場や直売所で農家が自由に販売できることにした。その収益は農家の取り分となる。第二に、家庭菜園を認め、有機農法による都市農業を推進した。第三に、一九九三年九月に国営農場を解体。国営農場の土地を、最大六十七ヘクタールまで農業労働者にその使用権を認め、協同組合に再編した。いま、全国に百七十六の協同組合がある。

 なぜ、国をあげて食料の自給をめざしたのか。

 キューバは、旧ソ連崩壊以前にはさとうきびやたばこといった換金作物を輸出。旧ソ連圏の国々は国際市場価格とは無関係に、いわば価格保障として買い支えてくれた。そして、その収入で国民の主要な食料の大半を輸入していた。だから、食料自給率は四十三%と低かった。こうした輸出換金作物を増産するために、一農場一万五千ヘクタール、五千〜六千人という大規模な国営コルホーズ経営を行った。旧ソ連から大型機械が導入され、大量の農薬と化学肥料を輸入してきた。国民の食卓は、輸入小麦のパスタや輸入飼料で育てられた牛肉が推奨され、米やいもといった昔からキューバにあった伝統食は、ないがしろにされた。

 しかし、一九九〇年に旧ソ連が崩壊し、アメリカによる経済封鎖が強化されるなかで、このシステムは崩壊した。砂糖やたばこは国際市場に投げ出され、価格は暴落した。旧ソ連圏から輸入していた主要な食料と大型機械の燃料となる石油、そして農薬や化学肥料の輸入量は、激減した。こうしたなかで、キューバの農業は、有機農法による食料自給の道を歩みだしたのである。レオンさんは言った。「毎日、肉を食べる人はいないが、空腹のまま寝る人はいない」と。

 いま食料自給率は六五%、国をあげて食糧主権をかかげ、持続可能な農業の確立をめざす。

 気さくなレオンさんは、キューバ在住の日本人が私たちを招待してくれたカレーパーティにも、奥さん同伴で出席してくれた。日本農業のこと、農民連のことなどを盛んに質問していた。

(赤間 守)

(新聞「農民」2004.5.24付)
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2004年5月

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