キューバ紀行(3)
自給率を10年余で43%→65%にニカラグア独立運動の指導者の名前をとったサンディーノ農業組合。開口一番、このように組合の紹介を説明してくれたのは、プロジェクト担当のルイスプラシド・オルテガさん(写真左〈写真はありません〉)。ハバナ市郊外にあるこの組合は、一九八一年、ソ連から導入された大型農業機械の共同利用と政府の優遇措置により、組合員十九人、耕作面積七十ヘクタールで設立された。 しかし、設立後十年でソ連が崩壊。キューバでは、ほとんどをソ連に依存していた農業機械やそれを動かす石油、農薬や化学肥料が入らなくなり、非常時は生産が落ちてたいへんだった。しかしこの農業組合では、組合員の団結と努力、農薬や化学肥料の激減に対応した害虫を減らす天敵昆虫の研究やミミズを使った土作り、微生物農薬の活用などで、生産量は減らなかった。 この農業組合では、自前の研究室を持っていて、天敵の育成や輪作型作物の組み合わせで病害虫を減らすことなどの研究がなされている。日本の農民との技術交流を強く望んでいた。 今では組合員は百八十人、耕地面積も七百五十ヘクタールで、じゃがいもを中心に約四十種の作物を作り、年間の生産量八千トン、約五百万ペソ(約三千百万円)の収益をあげている。このような農業組合の努力によって、あらたに組合員用に八十六戸の住宅を建設。子どもたちのスクールバスを二台持ち、東ハバナのビーチに別荘もあって、週末に組合員の家族が利用しているという。オルテガさんは、「農業組合の役割は、農産物の生産と組合員・家族の生活レベルの向上にある」と、自信にあふれて語った。 農場では、組合員がカボチャの選別・集荷を行っていた(写真右〈写真はありません〉)。カナダ向けの輸出用で、衛生検査員立会いのもと袋詰めしていた。カボチャの種はすべて日本のものという。 キューバの農業は、ソ連崩壊によって大型機械大規模経営・化学肥料依存から、協同組合中心・有機農法に変わり、「禍転じて福」のことわざを実践している姿を直接見聞することができた。 食糧自給率は、ソ連崩壊前の四三%から六五%に高め、国内生産の農産物を国民に配給し、残りは学校や病院などの施設用にまわしている。 わが国の農業のあり方にとっても、学ぶべき点が多い訪問であった。 (若林均)
(新聞「農民」2004.4.26付)
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[2004年4月]
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