イラク派兵反対 私の思い藤田一衞
米国いいなり派兵、憲法9条違反に憤り亡き父母、恩師に捧げる鎮魂の記専守防衛の枠を破って自衛隊のイラク派兵が強行されました。自衛隊の海外派兵は、風化しつつある戦争体験を再び現実の問題に引き戻しました。私は小学一年の時、父が中国への派兵で戦死し、悲しさ悔しさ憤りを体験しました。父は、千葉の戦車学校で戦車隊の育成に尽力し、一九三七年に日支事変が起きると、戦車中隊長として出征しました。 イラクに進駐した装甲車両は戦車隊を連想させ、また度々登場するひげの隊長は、「ひげの戦車隊長」であった父を連想させます。父は口ひげだけでなく、ほおひげとあごひげが顔半分を覆った「達磨(だるま)ひげ」で、新聞にとっては格好の宣伝材料だったようです。 父の戦死は、当時の新聞に、「敵前六十米悠々戦車から降り立つ髯の藤田壮烈の戦死」「戦死の報にも凛然と語る未亡人」「千葉市葬、小学校蒲田女訓導の手記に涙新た」などの見出しで報じられました。 このなかの蒲田先生は、私の小学生時代の恩師です。先生の手記にはこう書かれていました。 「藤田少佐は…勇猛な将…(以下中略)…ご家族においてはよき父君…。ご活躍振りはしばしば新聞紙上に…その度に学校では職員も児童も心からなる万歳を…然るに突然名誉の戦死…。かねての覚悟よと些かも取乱し給わぬ夫人は武人の妻の鑑…。長男一衞さんは僅か八歳(注・満七歳)尋常一年生…。お母様から父上の戦死を聞かされなさった時『お父さんは死んでもいいお母さんがいるから』と答えられて後は無言…なんと健気なお心…。護国の神藤田少佐よ、よき父藤田少佐よ…神国日本の躍進振りを…愛するお子様のご成長振りを…見守って下さいませ。御入学と同時にあなたより託されたお子様のご教導に全霊を注いでお尽くし致そうと決心致しました。(後略)」。 蒲田先生とは熊本幼年学校に在校した十四歳の時まで文通し、実母のような優しさと厳しさでご教導を頂きましたが、終 戦直前に焼夷弾の直撃により亡くなられました。 戦争で犠牲になられたすべての人々の生命が平和の礎となって戦後日本の平和憲法を生みました。アメリカ言いなりのイラク派兵と憲法九条廃棄には強い憤りをもって反対することを表明して、亡き父母と恩師に捧げる鎮魂の記とします。 (農民連食品分析センター)
(新聞「農民」2004.4.5付)
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[2004年4月]
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