耕しながら書き書きながら耕す
第129回直木賞受賞作家村山 由佳さん〔プロフィール〕
昨年七月、小説『星々の舟』で第一二九回直木賞(文藝春秋)を受賞した村山由佳さんは、直後からマスコミ各社のインタビューや取材を受け、さらにテレビで若い人たちとの「トーク番組」に出演、「農フォーラム」のパネリスト、NHK「紅白歌合戦」の審査員とひっぱりだこの毎日です。その合間をぬって、受賞作のこと、小説を書きながら農業を始めるようになったこと、戦争と人間、若い人たちへの思いなど語ってもらいました。
直木賞をいただいてから、たくさんの人たちとお会いする機会が増えて「次の作品を書く時間がないのでは?」と心配して下さる方もいます。でも、これまでの“畑”とは違う人たちと出会うことで、私自身の世界が随分広がってきました。 それらの人たちが、それぞれの人生でつかみ取ってきた何かをお聞きしていると、必ず収穫があるんです。その出会いの中から「新しい小説を書くきっかけが生まれるんではないか」という感じを受けています。
連載おわると“身は赤むけ”私、小さい時から「物語」をつくるのが好きだったんです。自分と自分を取り巻くものとの関係を頭で理解するのが下手くそで、それを物語にすると、よく理解できるんですね。その延長が小説の形になっていったのかと思います。 十年前に若い人たちの青春と恋愛を描いた『天使の卵』で「小説すばる新人賞」(集英社)を受賞しましたのが、私のデビュー作です。 その後も主に若い世代を主人公にした恋愛小説やエッセイを書いてきましたが、『星々の舟』は、これまでより年長の読者を対象に書きました。 掲載誌が年長者向けの「別冊文芸春秋」(隔月刊)で、六回連載しましたので、ちょうど一年かかりました。一回目が終わると、すぐ一カ月後の連載分を書かなければなりません。 まるで『鶴の恩返し』みたいに「羽根を一本抜いては織り」というような作業で、織り上がってみると“身は赤むけ”の状態でした(笑い)。次の締め切りまでに、どうやって羽根を増やしていけばいいか、そういう感じでした。
田に入ると生き返るよう生まれたのは東京の練馬区でしたから、周りには大根畑やキャベツ畑、麦畑があり、鬱蒼(うっそう)とした森や石神井(しゃくじい)公園があり、木登りやザリガニ取りなどして遊んでいました。よく男の子と間違われましたけど(笑い)。 でも、そういう環境以外には、特に農業との関わりはなかったんです。たまたま夫が農家の出身でしたので、親戚のリンゴ農家とか米農家とかに手伝いに行くことが増えてきましてね。 田んぼに入ると、子どもの頃に遊んだ石神井公園の池、というより沼でしたが、その沼の泥を踏む感触がよみがえってきて、体の中のすべての細胞が生き返るような感じでした。 そして、私の暮らす場所は「足の下に土や泥があって、頭の上に広い空があって、という所のほうがいい」となり、東京から長野そして房総鴨川(千葉県)へと田舎暮らしが始まったのです。
山と海の両方楽しめる所鴨川は山が海に迫っていて、山と海の両方を楽しめるんです。昔は「天皇の米どころ」とか言われて、お米もおいしいのが出来ますし、水もおいしいし、魚もおいしくて安いんですね。 移り住んだのはデビュー作で賞をいただいた年ですから、ちょうど十年になります。今は三千坪の農地で野菜を作り、田んぼは近くの農家から三カ所、計一反歩ほどお借りして米作りをしています。 その一つが「天水田」で、雨だけが頼りなんですが、不思議に稲の根が丈夫で、甘味の濃い、おいしいお米が採れるんですよ。 田植えと稲刈りは、中古の小さい機械を安く買いましたので、それを使っています。でも田んぼの泥が深くて、田植え機やトラクターがはまってしまうんです。 それを引っ張りだそうとして、今度は人間が田んぼの真ん中で動けなくなり、「このまま干からびるんじゃないか」と心配したこともありました(笑い)。 家族は夫と私、それに馬が二頭、あと犬と猫、鶏が数羽、ウサギもいます。野菜や米、卵はもっぱら自給自足用で、売れるほどは採れません。 この間、鶏がイタチか狸に襲われました。やはり、こういう環境の中に住んでいると、どうしても対立しなければならない相手が出てくるんですね。彼らも生死がかかっているんでしょうけど。(笑い) そんな暮らしの中で、「晴れた日は耕し、雨の日は書く」というよりも「耕しながら書く。書きながら耕す」生活をしているのが現状です。
イラク派兵は「憲法破り」『星々の舟』は、異母兄妹であることを知らずに愛し合ってしまう悲劇を書きましたが、最終章で主人公の父親のことを書きました。 「赤紙」一枚で一兵卒として召集され、中国大陸で罪もない人たちを傷つけ、殺したりさせられてきた兵隊の“心の傷”がいかに深いものか。戦争は人間の心と人格を無残に傷つけるんですね。 私の父親はシベリアに四年間抑留された経験がありますが、父親の話だけでなく、多くの人に取材しました。戦場では、残酷で非人間的なことを「上官の命令は陛下の命令だ」として強制される――そのことで戦後も良心の呵責(かしゃく)に苦しんでいる人の話です。 歴史的に見ると「戦争に賛成」は“多数派”で「戦争に反対」は“少数派”でした。 ですから、私は「社会の中で今、少数かも知れないけれど、少数側に立つことを怖がらずにいよう」「自分の信じることを、あきらめずに声に出していくことを恥ずかしく思ったり、くだらないと思ったりすることだけはやめよう」「“青臭い”と言われても、声を上げていこう」と思っています。 とくに若い人たちにはエッセイで呼びかけています。『少年ジャンプ』を読んでいるような人たちから、とても反応があるんですよ。 もちろんイラク戦争には反対です。私は憲法九条を日本の誇りだと思っています。自衛隊のイラク派兵に際して、憲法をすごく曲解した“解釈”をして、ほとんど「憲法破り」のやり方だと思います。 世論調査では半数以上の人たちが「派兵に反対」しているにもかかわらず、それが国の政治に反映されない。本当におかしいと思います。 (聞き手)角張英吉
(新聞「農民」2004.2.9付)
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[2004年2月]
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