家族の愛と自家製牛乳で育ったアテネ五輪出場決めたレスリング代表は酪農家の息子“厳しくとも、あきらめない精神”
福岡県夜須町 池松 和彦さん(24) プロフィール いけまつ かずひこ 一九七九年十二月生まれ、福岡県夜須町出身。福岡・三井高校卒。日体大助手。高校時代は国体二位。〇三年九月、ニューヨークの世界選手権で三位になり、日本男子として八年ぶりのメダルを獲得。同年十二月の全日本選手権で優勝し、アテネオリンピック出場を決定した。
昨年十二月のレスリング全日本選手権、男子フリースタイル六十六キロ級で初優勝し、アテネオリンピック出場を決めた池松和彦さん(24)。福岡県で酪農を営む実家をたずね、和彦さんとご両親からお話を伺いました。
酪農は立派な仕事おだやかでもの静かな「この青年が、あの池松選手?」と思うほど、穏やかで、もの静かな和彦さん。生まれ育った搾乳牛四十頭、水田五ヘクタールに麦作を営む池松牧場は、福岡県のほぼ中央、筑紫平野の北部にある緑と歴史の町、夜須(やす)町にあります。 訪れた日、久しぶりに我が家へと帰ってきた和彦さんを迎えた料理は、鶏五羽をつぶして作った甘辛煮と寿司。「脂肪が少ない肉だから」と話す母親のちえみさん(51)の言葉からは、息子の体を思いやるさりげない愛情が伝わってきます。 この日は、おばあさん、お父さん、お母さん、大学生の妹さんのほか、結婚したお姉さんも駆けつけ、家族全員が和彦さんを迎えます。そんな、あたたかな雰囲気いっぱいの池松家で、和彦さんは農業を営む両親の背中を見ながら、のびのび育ってきました。
浴びるほど牛乳を飲む「幼稚園の頃から牛乳をよく飲ませていた。我が家の牛乳だから普通とは違う。飲むのは牛乳かお茶か、そういう環境だった」とちえみさんが言うように、高校を卒業するまで、家の牛乳を浴びるほど飲んで育った和彦さん。「小さい頃はおとなしくて、もっと元気な子であってほしいと剣道を習わせたが、通わせるのが大変で、途中でやめてしまった」と目を細める父親の和義さん(54)。 しかし、中学校で柔道部に入った和彦さんは一級上の先輩が、地元の三井(みい)高校に進学し、レスリングでがんばっているのを見て「自分もやってみよう」とレスリングの道に進みます。そして、三井高校レスリング部監督の森岡敬志先生の指導のもと、グングン頭角を現し、国体で二位の成績をおさめ、監督の母校でもある日体大に進学しました。
多くの試合必ず家族が「オリンピックを目指していると知ったのは、大学一年生の時」と話すお父さんは、「ほとんどの試合で、私か、家内か、妹がかけつけ、応援してきた」そうです。東京・九段で行われたアジア大会にはお父さんとお姉さんが、去年九月、ニューヨークで行われたレスリング世界選手権にはお母さんが応援にかけつけました。「家内も私も、家族のみんなも試合中はドキドキ。体が悪くなりはしないかと心配で、世界で三番になった時は、みんなが喜んで…」。 「甥の和彦がだんだん強くなり、期待と夢がそのたびに大きくなってきた」と話す、みのう農民組合書記長の佐々木督文さん(48)も、アテネオリンピック出場を決定した十二月の全日本全国選手権には、和彦さんの応援にかけつけました。
両親の心配息子の体調オリンピックまでの道のりについて、「プレッシャーはありませんでしたが、練習は厳しいですよ」と和彦さん。「試合に勝つにはあきらめないこと」と丁寧に、誠実に答えます。また、「酪農という仕事は立派な職業だと思う」とも。 一方、ご両親の心配はただただ和彦さんの体調。家族とのしっかりした絆が、池松選手を支えていると感じました。 心身ともに充実した、池松選手に会えるという幸運に恵まれたこの日、アテネオリンピックでの健闘を期待しながら農場を後にしました。
人の倍は練習していた三井高校レスリング部監督の森岡敬志さん(40)池松選手は、人の倍は練習していました。闘争心もあり、同学年の日本一位の経験もある選手との試合に動じることなく立ち向かい負けましたが、「次は勝つ」と意気込んでいたのを覚えています。試合には、お父さんがどこでも応援に来ていました。農作業が大変ではと気になり「無理に応援に来なくても」と話すと、「応援に行ってはいけんのか」と怒られるほど熱心でした。家族と、いろいろな人に支えられていると思います。 オリンピック選手養成を目指し、レスリング部を作って20年目の夏。オリンピック出場の夢がかないとてもうれしい。池松選手には、大学の先輩としても期待しています。オリンピックには必ず応援に行きますよ。
(新聞「農民」2004.2.2付)
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[2004年2月]
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