「農民」記事データベース20031117-611-09

棚田のポストカード発行

棚田は祖先が築いた原風景です

美しさに魅せられた相川民蔵さん(埼玉)


 「産直をされている新婦人会員さんのご主人が素晴らしい棚田のポストカードを企画発行されたのでぜひ取材してほしい」という埼玉農民連大里農民センター事務局長の斎藤ゆみ子さんの案内で十一月五日、所沢市の相川民蔵さん(69)を訪ねました。

 白髪、あごひげを生やした風貌は一見すると民族学者。戦後女手一つで四人の子どもを育ててきた母親が十月五日に八十九歳で亡くなられ、長男として母親の苦労をつぶさに見てきた相川さん。

 棚田に関心をもつきっかけは、父親の正雄さんをフィリピン・ルソン島で亡くし、その「足跡調査」をしたことから。「父親がどこで亡くなったのかを調べていた時、古本屋で見つけた『北部ルソン戦』を読んだら父親がなぜ死んだのかが書かれていた。終戦の一日前の一九四五年八月十四日に自死したことを知った」と涙ぐみます。

 父親の正雄さんは、青山学院大学を卒業後、英語の教師をしていましたが、当時は敵性語とされ教えられない「窓際教師」で、民族学の研究に励んでいました。自ら希望し「日本語教育要員」として一九四三年九月、フィリピンに文官の軍属となって行きました。

 相川さんは一九九八年一月、マニラから三日かかってルソン・イフガオの谷間、アバタン村の集落「アワ」にたどり着きます。世界遺産にも指定されているバナウエ棚田がある所。「棚田の美しさ、素晴らしさにびっくり。先住民の人たちは、祖先から受け継いだ森と棚田を守っていることを知った。先住民との交流で、電気がほしいという要求を知り、『イフガオ・アシン川流域に小規模水力発電を設置する会』を立ち上げ、多くの方々の協力を得て水力発電所を作った」と目を輝かせます。

 戦没者の遺族が戦地を訪ね慰霊する話をよく聞きますが、相川さんは先住民との交流を深め、生活改善の活動にも取り組み、十五回訪ねています。「世界遺産の棚田を訪ねるツアー」に参加して相川さんと知り合った風景写真家の永田博義さんが、「日本の棚田」と「世界遺産 フィリピンの棚田」の写真を撮影。それをポストカードにして発行した相川さん。

 「世界の人口が爆発的に増える中で食糧不足を解決するうえでも、農業を守ることは二十一世紀の課題。棚田は祖先が築いた原風景。棚田や農業を破壊しようとする日本の農政は許せない。そのためにもこのポストカードを大いに普及したい。読者のご協力を」と訴えています。(西村)

 ▼「日本の棚田」二種類、「フィリピンの棚田」一種類で一セット8枚500円(送料込み)▼連絡先=相川民蔵さん、埼玉県所沢市こぶし町20―19 Tel・Fax 兼用042―998―6853

(新聞「農民」2003.11.17付)
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2003年11月

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