「稲の旋律」(東京芸術座公演)を観て茨城 久保 幸子
照明が落ち、シーンとした観客席に、若い女性が駆け込んできた。舞台によじ登った女性を見て、場内の空気は一瞬戸惑う。わたしたち観客は、千華を見守る稲となった。 舞台が始まるとすぐに、わたしは自分の呼吸が気になりだし、小さなタオルを口にあてる。なかなか見ること、聞くことに集中できない。が、次第に舞台に引き込まれ、悩む千華の姿はいつしか自分自身にだぶり、涙が溢れ…。 晋平との文通、そして取り巻く人々との交流で、かたくなだった千華の心も徐々に融け始める。彼女自身も気付かないくらい、自然に、そして穏やかに。 人と自分を比べても、仕方がないことかもしれない。自分はその人ではないのだから。でも、ありのままの自分を認めるというのは、なかなか難しい。ましてや、自分を好きになることはもっと難しい。他人から見ればちっぽけな、つまらないことでも、落ち込みだすと、きりがない。自分を責め、人を遠ざけ、そんな思いに、周りの人は気付かない。 ひきこもりの人に「頑張れ!」などと言ってはいけないというが、わたしは心の中で、「頑張れ! 大丈夫。きっと報われるから」と、千華を励まし続けていた。 農業に触れた一年間。稲の生育とともに、千華の心も育った。舞台が終わり、観客席が明るくなってもまだ、パッヘルベルのカノンが奏でられているような気がした。 翌日の朝、わたしは今までにない経験をした。「稲の旋律」を観た当日は、何事もなく普段どおり眠ったわたしは、明け方に突然目が覚め、やり場のない悲しみが波のように押し寄せてきて、涙が溢れて止まらなくなる。失った恋が苦しくて、悲しくて…。そう、わたしはいつの間にか千華を見守る稲の役から、千華自身に変わっていた。 晋平に対する想いや、存在を認めてくれた人たちの温かさを想い出した。そして、あの後、「千華は、ピアノを弾くことができただろうか? きっと、いろいろな思いがあとからあとから溢れ出てきて、泣きながら弾いたのだろうな」などと思った。稲と共に育んだ自分を、そして人を想う心。 あの一年は、千華にとって最高のリハビリとなった。愛する心を見出せたのだから。 結果は、あれで良かったのかも知れない。でも、批判を恐れずに言えば、ありきたりのラストでもなんでも、千華には晋平と結ばれてほしかった。「頑張った千華に、ご褒美をあげたかったな」と、ふとそう感じた。 (県西農民センター)
(新聞「農民」2003.10.20付)
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[2003年10月]
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