三上満さんが語る賢治と農業〈2〉
豊作飢饉の挫折感が「雨ニモマケズ」の詩に
すばらしい表現できるのは…賢治の詩の中で、私が大好きな詩があります。「和風は河谷いっぱいに吹く」という詩です。嵐の夜、賢治は、自分が肥料設計した田んぼのことが心配で一晩中歩いて見回ります。今でも台風のたびに見回りの農民が足を滑らせて水路に落ちて亡くなるということがあるでしょう。農民は、昔も今も変わらず台風から稲の被害を少しでも防ごうと田んぼを見回るんです。 若干、詩のうえで誇張したり、架空を現実化したりしていることもありますが、詩の中で、肥料のやり方の違いだけで倒伏を免れた田んぼに、白い花がひらめいているなどという表現は、じつに見事です。嵐の後の情景をいろんな芸術家がいろいろな形で表現しています。ベートーベンは田園交響曲で表していますが、賢治くらい見事に表現した芸術家はいないでしょう。 その一節を私は講演などで紹介しながら、「きっと鳥肌が立つでしょう」というんですが、なかなか若い人は想像がつかないようで、一回では「鳥肌」が立たないんです。こういう一節です。 「今朝、黄金のバラや東はひらけ/雲ののろしは次々とのぼり/高圧線もごろごろ鳴れば/よどんだ霧もはるかにかけて/静かな飴色の日溜まりのうえを/赤いトンボもすうすうと飛ぶ」と。 嵐の過ぎ去った後の雲がどんどんのぼり、霧がぱぁーとかけていく。高圧線がその風でゴロゴロと鳴る。地面を見ると、朝日を映した飴色の日溜まりができていて、そこに赤トンボがスイースイーと飛んで来る。まぁーなんとも言えない素晴らしい表現です。なんでこういう表現ができるかと言えば、賢治が嵐の中で心配して夜通し田んぼの中を歩いた翌朝だからです。
兼業農家が稲作を支えている賢治が「稲作挿話」に書いているような農作業は今とはだいぶ違うでしょう。しかし条件が違っても、「農の心」「農こそ国の基」、しかもそこには家族経営、自作農がいなければダメという真理に変わりはありません。今は幸いなことに米作りの技術が進歩したこともあり、かなり兼業化しているでしょう。兼業化していることのすばらしさがある。政府が言っているような担い手、水田単作の大規模な農民だけで農をやっているとしたら、それこそ日本の農業基盤は何回かの凶作で壊滅してしまうと思います。稲作は、昔から手間はかかるが、一定のことをやっておけば、しばらくは手間がかからないということではないが、稲自身の生育力にゆだねればいいわけでしょう。これが他の作物ではそうはいかない。稲作は兼業農家によって担うこともできる優れもんですよね。 十年前の一九九三年の米パニックの時、ちょうど青森県の三沢で教職員の交流集会が行われましたが、その時に田んぼを見たら稲穂がつっ立ったまま、あちこちの稲の穂先が真っ白だった。その時に「兼業だから耐えられる」と言われました。 兼業農家は、ある意味では農業だけではやっていけない、食えないという状況から生まれたものであるかも知れないけれど、同時に、米作は兼業でもできるという面を見ないといけない。それを無視した「米改革」をやったら大変なことになると思います。
豊作の実りが幸せにならない賢治にとって大きな打撃だったのは、一九三〇年の豊作です。大不況の中での豊作で、米価は値下がり、一九三一年の春頃は、豊作飢饉の様相になっていた。あの頃は、米はまったく自由販売で、米の仲買人が買い付ける。場合によっては、収穫を当てにした買い付けの予約制で金を借り、農民は一粒でも多くとろうと金肥を買う。金をかけても、凶作だと借金だけが残る。しかし、夢に見た豊作でも、この不況の中で米が値下がりして、農村が窮乏する。 賢治は、豊作飢饉のことについて手紙の中で一、二ほど書いているだけで、ほとんど言及していません。書く気にもならなかったほど辛かったのではないかと思います。豊作の実りが農民の幸せにならない。その挫折感が、私は「雨ニモマケズ」の詩になったんだろうと思います。 「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ」とそういうものでいいんだという。この「雨ニモマケズ」の詩は、挫折といえば挫折であり、中には「賢治の後退や退嬰を表すもので、実にくだらない詩だ」という人もいます。 だけど、あれだけ苦労してたたかって、しかも目の前に現れた豊作が、かえって農民を苦しめる。賢治は「つばきし、はぎしりゆききする」「おれはひとりの修羅なのだ」という。まさに幸せを求めて、歯ぎしりしながら歩き続けた修羅。その辛さを表現したのが「雨ニモマケズ」の詩であり、苦悩しボロボロになった修羅の「まことのことば」「修羅の真言」だと思います。 豊作もあれば凶作もある。そういう米だからこそ、価格支持制度や食糧管理制度があり、多少の収量の幅があっても、農家の収入が安定する。そうして田んぼが管理され、荒れないで、しかも農村の文化が花開く。賢治はそういうメッセージを私たちに伝えていると思います。 (つづく)
(新聞「農民」2003.10.13付)
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[2003年10月]
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