北嶋さんとその仲間との温かいつながり感じた
『菜の花が咲いたよ』の著者旭爪あかねさんに聞くひのつめ あかねさん 1966年、東京都生まれ。97年、第二回民主文学新人賞に「冷たい夏」で入選。『世界の色をつかまえに』(本の泉社)、『稲の旋律』(新日本出版社)で第35回多喜二・百合子賞受賞
茨城県西農民センター会長で、「ヒューマン・ファーマーズ」のリーダー・酪農家の北嶋誠さんは、一九九八年六月にクモ膜下出血で突然、倒れ、失明しました。光を失った苦難にもめげず、農業と農民運動を続ける前向きな北嶋さんの姿勢が仲間たちに大きな感動を与えています。頑張ってこれたのも、多くの人たちの支えがあったからこそです。その様子は新聞「農民」でたびたび報道してきました。北嶋さんとその仲間たちの活動を作家の旭爪(ひのつめ)あかねさんが『菜の花が咲いたよ』の本にまとめ、「本の泉社」から出版しました(本体千七百円)。旭爪さんに話を聞きました。
農作物と同じように私も育ててもらった★書くきっかけ☆第一回目の援農が新聞「農民」に掲載され、その記事(九八年九月七日付)を読まれた出版社「本の泉社」の社長さんが感動して、ドキュメンタリーの本にしたいと企画されたのです。たまたま私が文芸誌『民主文学』に書いた「農業のことを書きたい」というエッセイを編集者が覚えていてくれて、私に声がかかってきたのです。 声をかけられたときは、小説を書き始めたばかりで、駆け出しの駆け出しで、しかもノンフィクションは書いたことがありません。農業、農民運動についてもまったく知らなくて、力不足でした。 当時の私は、対人恐怖が激しくて、休職しているときだったんです。とにかく書く仕事がもらえたことがうれしく、その話に飛びついたものの、実際に知らない人に会ってインタビューしなければいけないのです。私にとっては困難がすごく多かったのです。いろいろな方と会って話を聞くと感動したり、楽しかったり、勉強になったりしながらも、インタビューのあと、どっと疲れが出てしまって、そのまま何もできないで一週間も寝込んでしまうという繰り返しだったんです。
★辛抱強く待たれた☆北嶋さんや農家の方、農民連の専従者の方とお会いしているうちに、みなさんがすごく着飾らないで接してくれまして、私もそれでいいんだなと思えるようになったんです。農業をしている人には、他人に対する独特の態度があるような気がします。人間の意のままにならない、お天気とか生き物とかを相手に日々、仕事をされていると、何もかも自分の思い通りにワクにはめようという感じではなく、あるものをそのまま受け入れて、そのなかでどうやっていくか、生き物だったらその生き物らしくよく育てるにはどうやって手を貸したらよいかという態度になってくるような気がします。 私に対しても、「早く書け」とか「それじゃダメじゃないか」という感じではなく、「書けないんだね。じゃ、どうしようか」と、みんなで考えようとしてくれたり、本当に辛抱強く待ってくれる。農作物と同じように私も育ててもらった感じがします。 そんななかで、いままで失敗するのが怖くて、先に進めなくなることがあったんですが、失敗してもどんなことになっても、やりあげることが大事なのかなと教えてもらったように思い、だんだんに何となく人と会うのも怖くなくなってきました。そういうように接してくださったのがありがたくて、何としても書きあげなければという気持ちになりました。
★伝えたかったこと☆現実を少しでも良い方向に変えていくためには、お互いに尊重し合い、心を通わせ合える人間同士の関係がいちばん必要なものだと思います。農作物を作る人たちと知り合ってから、私は外で食事をしたとき「おいしかったです」と一言、お店の人に伝えたいと思うようになりました。 小さなことですが、私もここからならはじめられるんじゃないか、と思えるヒントが北嶋さんたちの実践のなかにはいっぱい詰まっている。人と人とのつながりのあたたかさを感じたり、「自分(たち)もこうやってみようか」という点を発見しながら読んでいただけたら、とても嬉しいです。
(新聞「農民」2003.9.1付)
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[2003年9月]
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