克也の夏休みスーパースイート“きぼう”ボクの家族みんなで出荷小林 克也(長野県佐久市小学四年)
おじいちゃんとおばあちゃんは朝五時からスーパースイート“きぼう”を収穫し、朝飯の後、出荷の荷造りだ。 「今年は低温・寡照(かしょう)のため予定より数日以上の遅れ、市場の期待する時期に間に合ったかどうか」「ダラダラと成熟、そのうえ先端の不稔(ふねん)が目立つ」とおじいちゃんは心配している。 大きいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんは、トウモロコシに虫食いや不稔がないかを調べ、一定の長さに切り、おねえちゃんは一房ずつはかりにかけて3L、2Lと分け、お父さんとぼくはダンボールに詰める(写真〈写真はありません〉)。お母さんはダンボールのふたをするのだが、カメラで写真を撮ったので写らない。
命の大切さと無念さ 胸の底からこみあげて大刀洗平和記念館訪ねて(福岡)福岡市から南東に三十一キロメートルのところに大刀洗(たちあらい)という町があります。吉井町から車で三十分くらいですが、戦時中、東洋一といわれた陸軍の太刀洗飛行場がありました。 そこの大刀洗平和記念館に、「ノモンハン事変」において最も活躍した九七式戦闘機が世界でただ一機、展示してあります。その戦闘機に乗っていたのが、鳥取県出身の渡辺利廣陸軍少尉という人で、一九九六年、博多湾から引き上げられた後、操縦席にあった箸箱から判明しました。渡辺少尉は、沖縄戦への特攻出撃を命じられ、鹿児島県の知覧へ行く途中、この博多湾に不時着。その後、また別の九七式戦闘機により知覧基地から出撃、戦死しました。 渡辺少尉の隊は、神風特別攻撃隊・第四降魔隊といいます。渡辺さんは、「おかあさん」と題した日記を大学ノートに記していました。残された家族への愛情と、お父さん、お母さんへの不孝をわびています。渡辺さんの最後の日記を紹介します。
このほか、若き特攻隊員たちの遺影と遺書も展示されており、戦後五十八年たったいまも、いのちの大切さと無念さが胸の底からこみ上げてきます。年配組合員の「戦争は絶対しちゃならんのだ!」というさけびを全体のものとしていかねば、と思います。 (九州ブロック編集協力員 金子徳子=福岡・みのう農民組合)
(新聞「農民」2003.9.1付)
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[2003年9月]
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