仕掛け工夫 先人の知恵田畑を潤す「三分一湧水」山梨・北巨摩八ケ岳南山麓
一つの地下水を三つの村に三等分八ヶ岳南麓の北巨摩地域は、山梨で唯一の穀倉地帯です。しかし、この周辺には川がなく、昔から農耕に必要な水源は、女取(めとり)、姥ヶ懐(うばがふところ)などの湧水群に頼っていました。そのうちの一つ、「三分一(さんぶいち)湧水」を、山梨農民連の平島真常任委員(76)に案内してもらいました。「名前の由来は、その昔、湧水の利用をめぐり長年続いた争いを収めるため、三方の村々に三分の一ずつ平等に分配できるように工夫したことからきています」と、道路脇の案内板に書かれています。木々の根元五カ所くらいから湧き出た水温十度の清らかな地下水は正方形の石組みの分水桝(ます)に流れ込みます。 桝の中心よりやや流入口に近いところに一辺三十センチほどの石造りの正三角柱。流入口に頂点を向けて置かれているこの石が三等分割する秘密です。十メートルと離れていない所に幅二十メートルぐらいの川がありますが、水は流れておらず葦が繁茂していました。標高一〇三五メートルにある三分一湧水は、日本名水百選にも指定され、一日八千五百トンの水が下流の田畑を潤しています。 地域に残る古文書には十七世紀にすでに湧水を農業用に三等分して使っていたことが記されています。しかし一七二三年の山崩れで桝の一部が埋まって争いが起き、三角石柱を置く工事は、一八〇〇年に行われたらしいことがわかりました。 「この水がなければ田畑は枯れてしまう」と、水利権をもつ下流地域には今でも「水番」「札番」の慣習が残っています。水路の途中から水を取る“水泥棒”を見張り、見回りもしています。 一九八九年、当時町議だった故輿石正雄氏と知恵をしぼり、特許庁に「湧水米」という商標登録をして、新婦人、民主団体と米の産直を始めたのも、三分一湧水がきっかけでした。今は「私のたんぼ」に発展した米産直。農民連にとっても忘れられない湧水が潤す水田では、今年も稲が順調に育っています。 (関東ブロック編集協力員 津久井裕=山梨農民連)
(新聞「農民」2003.9.1付)
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[2003年9月]
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