『きくまの民話と伝説』愛媛県菊間町
坊主石担いだら米担ぐ(明田)「坊主石担(かた)いだら米かたぐ」ゆう話し知っとるかあ!、知らざったら教えちゃらい。天王坊の石段のとこい経塚(きょうずか)があろが、その端の角(かく)い石と丸い石が「坊主石」ゆうて、えらぁい坊さんのお墓じゃそうな。 今は字ぃも消えかけとって誰のやら解らんけんどが、角いのが十四貫、丸いのが十八貫ぐらいあって、あれで若いもんが力較べをしよったんじゃ。百姓仕事の合間とか、青年学校の行きもどりに、ようかたぎよったもんよ。 学校ゆうても農繁期だけじゃけん、籾(もみ)でもすって年貢でも納めた後で、またせわしなったら学校退(や)めたりもしよった。 ほじゃけん、その「坊主石」もたげたもんは、米が担げるゆうて、いっつもかっつも自慢するし、ええ顔がでけよったんぞい。今の若いもんは背いも高いし体もがっちりしてるようじゃけんど、一寸じゃてもちゃがるまいのおぅ。 (『きくまの民話と伝説』から)
(四国ブロック編集協力員 大道法幸=愛媛・菊間農民組合)
(新聞「農民」2003.8.11付)
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[2003年8月]
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