広島・大朝町中国山地に伝わる伝統芸能 大花田植主役の一つ飾り牛
保存会の会長さんは 農民連の会員文化の伝承と保存への誇りと喜びが生きがい稲の豊穣を祈り、慰安と娯楽を兼ねた花田植は、田楽、はやし田とも呼ばれ、中国山地の村々に伝わる伝統芸能。広島・大朝町の「新庄のはやし田」と高宮町の「原田のはやし田」は、大花田植の名称で親しまれ、中世の絵図「大山寺縁起絵巻(だいせんじえんぎえまき)」などに残る田植えの様子を伝える貴重な伝承。「安芸のはやし田」の名で国の重要無形民俗文化財に指定されています。この花田植で用いられる飾り牛を今に伝える「大朝飾り牛保存会」会長の白砂半次郎(しらまさはんじろう)さんに、保存会の生い立ちやいわれを聞きました。白砂さんは農民連会員です。 保存に取り組み始めたのは一九六〇年代の中ごろ、農具の機械化が波にのり、農家の宝として飼われていた農耕用の牛が見る間に激減して耕運機に取って代わる時代。「このままでは飾り牛は絶滅しかねない」と数人の長老が保存に努力し、その後三十数年間、地域の人々の献身的活動で守り続けてきました。 「大朝飾り牛保存会」が誕生したのは九七年、これまで有志の奉仕活動によって伝承されてきた飾り牛を組織的に保存することになり、初代会長となった半次郎さんをはじめとする会の皆さんが保存に努力しています。 五〜六月になると県内外のあちこちで昔ながらの花田植が催され、神事にのっとって、田の神うぶすな神に五穀豊穣を祈願します。 花田植のいわれは、江戸末期、庄屋が自分の田植えに多くの男衆や女衆を集め、一年の感謝の意を込めながら、この日ばかりはと小作人衆を上座に座らせ、はやし唄にあわせて行う田植えを見ながら杯を交したことだと伝えられています。 この花田植に欠かせないのが牛による代かきです。田の中央より神事にのっとり、右廻りの“水見儀式”に始まり、“屏風がき”“8の字がき”のなかば頃より田楽にあわせサンバイサン(指揮者)の音頭とりで柄振り突き、苗もち、早乙女が一体となって大花田植絵巻がくり広げられます。 飾り牛の調教には半年が必要とされ、やっとならした牛も寿命は短く、後継牛が悩みの種だといいます。それでも数百、数千人の観光客やカメラマンの笑みと歓声に励まされ、民族文化の伝承と保存への誇りと喜びを生きがいにして、半次郎さんは牛と追い手の一体感を感じています。 (中国ブロック編集協力員 杉本隆之=広島県農民連)
(新聞「農民」2003.8.11付)
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[2003年8月]
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