『きくまの民話と伝説』愛媛県菊間町
水の寄り合い場(明田)水寄りゆうてのお、水をわがわが引いても間にあわんゆう折に、番にでもして田ぁに水やらないかんゆう折に、みいなが「天王坊」に寄って、いつから番にいくか、どういうふうな上がり方をするかで集まりよった。旱魃(かんばつ)になると、ながさく(長坂)、田村、明田のもんが、あそこい集って話し合いをしよった。ほいでも、そがいさいさいあるもんじゃあなかったけんど、五十年ぐらい前まであったはなしぞい。反別によって番に出る順や回数をきめて、いっち干(ひ)いた田ぁよりほうぼこにまくばるために頭をひねりよったもんじゃわいや。 水争いは覚えはないんけんどが小さいもめごとはしょっちゅうありよった。 日が暮れてから寄ったおりなんぞはのお蓑(みの)をもってきてそれを尻(しり)にしき、笠をかむったりしょつた。笠かむると相手に顔がみえんけんこの時とばっかし、いっつも、腹に思(おも)とることや、えゝかげんなことを言いよるもんもおった。 まあ水寄りゆうたらそんなもんじゃった。ほてからのおぅ、水番は一回が米一升、役が二升五合、総代は四斗、長方が六斗で総代、長方は一年じゃったかのおぅ! もう忘れたわいや。(『きくまの民話と伝説』から) *昨年の水番賃は一回(一日)千円でした。 (四国ブロック編集協力員 大道法幸=愛媛・菊間農民組合)
(新聞「農民」2003.7.7付)
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[2003年7月]
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