農村の楽しみ、苦しみ…を詠んで40年短歌を日記代わりに寺嶋 志津子さん『里灯り』という短歌集を昨年九月に自費出版した千葉県・干潟町の寺嶋志津子さん(62)。十九歳で農家に嫁ぎ四十年、農作業や身近な出来事を日記がわりに短歌にしてきたという寺嶋さんにお話をうかがいました。(森吉 秀樹)
この短歌は三十年ほど前の春、水沸く谷津田を掘り返す時の情景をうたったもの。細い山あいにある谷津田で、たった一人で農作業をしていると、子どもが笛を吹いているように「ポーポー」と鳴く鳥の声がして、その声を聞きながらうたった歌だと言います。 まだ耕地整理が行われていなかった谷津田は太ももまでもぐってしまうほど深く、機械が使えないためクワを使って人の手で田起こししていました。 「時代が、耐える人間を作ったのでしょうか。大変な重労働でしたが、丸一日働き、夕食を準備して。体は小さかったがよく働いたと思います」と当時を振り返りながら歌集を眺める志津子さん。「四百二十首余の短歌一つひとつを見れば、その時の情景を鮮明に思い出す」と言うこの歌集には、農村の四十年の変化がしみ込んでいます。
志津子さんにとって短歌は心の支えでした。 十九歳で嫁いだばかりの頃、農家の嫁は新聞を広げることすらできませんでした。加えて義母が重い乳ガンになり、三夫婦に夫の兄弟二人、一家八人の家事と介護、農作業が志津子さんの肩にのしかかりました。 夜遅くまで働き詰めだった志津子さんは、日記を書く暇もないほど忙しく辛い嫁の身を、短歌を作ることで乗り越えます。 「短歌になっているかどうかもわからなくて」と当時の胸の内を話しますが、地域の文化祭に展示した作品が認められたことが自信となり、短歌を新聞に投稿するようになります。 「掲載されると実家の母やおばさんが喜んでくれて。あの頃は、良い短歌を作ろうと考えて、他の短歌を読むゆとりはなかった。ただ、自分の短歌が掲載されると嬉しくて」と語る志津子さん。二十年あまり、新聞に載った短歌を見ることもままなりませんでした。 四十年前の農業は、今とまったく違っていました。嫁いだころは稲の他に、畑で麦とでんぷん用甘藷の二毛作が行われていました。春の田植えが終るとこんどは畑の麦刈りに取り掛かります。秋には刈り取った稲束を、昼の明るいうちに家に運び込んで積み上げておき、夕食の準備と食事を済ませると、今度は灯りのもとで脱穀作業を行い、夜まで働きました。 その後、畑でニンジン、トウモロコシなどの露地野菜を生産していた時には、出荷作業で夜遅くまで働きました。 町議や農業委員を務め、出かけることの多かった夫の靖夫さん(65)(多古町旬の味産直センター理事)の分の農作業もこなしながら「農業一筋に夢中でやってきた」と語る志津子さん。現在は二町歩の米とヤマトイモを、息子の稔さん(41)を中心に、靖夫さんと志津子さんの三人で生産しています。
「十五年ほど前、新聞を読めるようになった頃から良い短歌を詠みたいという欲が出て、今では新聞の短歌欄を見るのが楽しみ」と話す志津子さん。ふと思い浮かぶこともあれば、情景をどう短歌にしようかと思い悩むこともあると言いますが、歌集『里灯り』には、山里の農家の暮らしそのものが、みっしり詰まっています。
歌集 『里灯り』 |
[2003年5月]
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