「農民」記事データベース20030428-584-01

「人間を不幸にする戦争は絶対に許せません!」


 軍国主義教育が生んだ「国民学校一年生」の詩人

       滝 いく子さん

〔プロフィール〕たき いくこ 一九三四年、兵庫県生まれ。青山学院大卒。詩人。詩人会議、日本現代詩人会所属。「炎樹」同人。詩集『娘よ おまえの友だちが』『あなたがおおきくなったとき』(壺井繁治賞)『金色の蝶』『今日という日は』『あの夏の日に』。他に、いわさきちひろ、壺井栄など女性芸術家の評伝書、詩の鑑賞書やエッセイ集など多数。


 四月にはピッカピッカの小学校一年生たちが顔を輝かせて入学する姿が見られました。とても平和な風景です。ところが、今から六十二年前に一年生になった子どもたちは、どうだったのでしょう。その年、一年生になった滝いく子さんに「国民学校一年生の会」が発足した経過と平和への思いを聞きました。


 井上ひさしさんも「国民学校一年生」

 友人の東京革新懇事務局長・高岡岑郷さんから「あなた、一九三四年生まれでしたね。昭和十六年(四一年)に一年生になった、同い年だね」と言われたことがありました。また、牧師の橋本左内さんが少し前に出された『国民学校一年生』という本で、私と同学年だったことを知りました。「国民学校一年生の会」(代表・井上ひさし 詩人・滝いく子 牧師・橋本左内)が発足する一九九九年の春のことです。 戦後、小学校に入った方はご存じないかと思いますが、それまでの「尋常小学校」は太平洋戦争が始まる一九四一年度(昭和十六年)から「国民学校」と名を変え、「皇国民の錬成」という目的の天皇制軍国主義の教育が徹底されました。生徒たちは〈少国民〉と呼ばれ、皇室の民としての自覚と責任をたたきこまれたのでした。

 私たちは同じ年頃の人たちに次つぎと連絡をとり合い、東京に元〈少国民〉が集まり、戦中の体験をこもごも語り合いました。まわりを見回すと、「一年生」世代はたくさんいらっしゃるんですよ。

 この会の代表の一人である作家の井上ひさしさんをはじめ、マスコミ関係、文化・芸術関係、学者、研究者など社会の中心で活躍している方たちが多く「いやあ大活躍の世代だわ」って自画自賛したりして(笑い)。

 ススメ ススメ ヘイタイ ススメ

 そもそも「国民学校一年生」に、どういう意味があるのか。一年生の教科書が「サイタ サイタ サクラガ サイタ」から「ススメ ススメ、ヘイタイ ススメ」と変わったのはなぜなのか……も興味深いことなのね。

 当時の日本は日清、日露戦争のあとも「富国強兵政策」をさらに強化し、朝鮮や台湾を植民地にして領土を広げ、鉄や石炭や森林の資源を求めて中国東北部(旧満州)へ侵略し、さらに太平洋戦争の泥沼へと突き進みます。

 学校では〈我ら昭和の少国民〉を合言葉に、天皇への忠誠や献身が教えられ、急速に軍国教育をたたきこまれました。「国語」や「修身」の教育内容も「ヒノマルノハタ バンザイ バンザイ」など、その当時の「軍国主義」教育が色濃く出た教科書でした。

 そういう時代を通った私たちですので、政情あやしい昨今、再びあの道を進ませない運動をするために「国民学校一年生の会」を一九九九年十二月八日、太平洋戦争開戦への抗議と反省の意志をこめて発会したのです。

 会場は東京・麹町の東京都教育会館大会議室。当日は満員の参加者と多くの報道陣を前に、同じ「国民学校一年生」の一人として作家の井上ひさしさんが「『国民学校』と『あたらしい憲法』のはなし」と題して記念講演をし、熱気に包まれました。

 韓国や台湾にも国民学校の生徒が

 発足後の総会の折おりに「国民学校一年生ばかりが『少国民教育』を受けたのではない」とか、「国民学校にかかわった人は誰でも参加できるように」とか、「同じ思いを持つ人なら誰でも一緒に」と、どんどんワクが広がりました。

 そのうち「日本の国民学校教育を受けたのは何も日本人だけではない」という意見が出て、韓国や台湾の人たちとの連携も始まりました。すると私たちでさえ正確に言えない「教育勅語」をスラスラと暗唱するので、びっくりしました。

 その人たちの親や兄弟が「日本兵」にされて徴兵され、戦死したり、戦後生き残った人も「日本人ではない」という理由で、何の保障もなされていないことも知りました。

 韓国の人たちもひどい扱いを受けました。日本語使用を強制され、悪名高い「創氏改名」で日本名にされた人たちの今日に及ぶ苦悩。日本に強制連行されて重労働に酷使されたり、戦場に出されたり、従軍慰安婦にされた人たちが、いまも戦争の傷を引きずって苦悩の中に生きています。

わたしたちは忘れない
わたしたちは知らなかった
胸ときめかし 一年生にあがるとき
小学校が「国民学校」に名を変えて
頬あかく瞳きよき子らを呑み込んだとは
「少国民」教育は年ごとにきつく締まり
いつしか歌っていた「大君の辺にこそ死なめ」

そして見捨てられ 死んでいった
たくさんの兄たちよ 友たちよ
わたしたちは光の中に生まれ出た
すべての子供らに門を開いた新制中学校で
新憲法は 戦争放棄と国民主権をうたい
人々の胸に新しい血をわきたたせた
生き残った身体で抱きしめた自由と平等は
希望の力となって人々を揺り起こした

わたしたちは二つの道を歩み
そして選んだ 一つの道 この道をゆく
平和と民主主義のこの道を
わたしたちは忘れない はじめての一歩が
「国民学校」一年生だったことを
はじめての二つの道の一番前を歩んだことを
わたしたちは 子孫にふたたび踏ませない
血と叫び 破壊と殺戮 深き闇の道を

 戦争を知らない若い人たちこそ

 いま、イラク戦争をテレビで見ていても、被害を受けているイラク市民の悲惨な姿はあまり見えません。湾岸戦争の時もまるでテレビゲームのように、砲爆撃が画面に映され、戦争の本当の恐ろしさが分かりません。 兵士ばかりではなく非戦闘員、暮らしと未来を支えるたくさんの女性や子どもたちが傷つき殺されていく。太平洋戦争の時もそうでした。戦場に出た兵士たちは悲惨でしたが広島、長崎の原爆、東京大空襲、その他多くの都市で膨大な市民が犠牲になりました。

 どんな戦争も〈生命の尊厳〉を傷つけないものはない、絶対にしてはならない、人間は平和的に解決するという英知を、自ら育てなければいけないと思います。

 私自身は国民学校五年生の時、中国の東北部(旧満州)で敗戦を迎え、母と中学生だった兄とともに死ぬ思いで逃避行を続け、翌年夏、ようやく日本に帰りつきました。しかし家は空襲で跡形もありませんでした。ですから中国に置き去りにされた残留孤児たちのことが他人ごとではありません。戦争に巻き込まれた同胞のその後の苦悩を思うと胸が痛みます。会は「中国残留孤児国家賠償請求訴訟」の支援にもかかわっています。

 また最近、教育基本法の「改悪」がくわだてられています。戦時中の「少国民教育」の再現は許せません。「国民学校一年生の会」は〈人間のまっとうな心身の成長と幸福の追求を妨げることを許さない〉活動をするのだと、私は思っています。

 結成の時「わたしたちは忘れない」(別掲)という呼びかけの詩を書きました。最近、井上ひさしさん、入江曜子さん、安斎育郎さんなどの講演記録や勉強会の内容などを収録した『昭和の「少国民」からのメッセージ』(一五〇〇円)という本を「ケイ・アイ・メディア」出版社から出しました。十一月には長野県で第六回総会を開きます。

(聞き手)角張英吉
(写 真)関 次男

(新聞「農民」2003.4.28付)
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2003年4月

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