「農民」記事データベース20030120-570-09

“ドウィ”の島、沖縄・与那国

農業を志す若い二人を島民あげて祝福


 「日本で最初に黒潮に出会い、最後に夕日が見える島」――沖縄県与那国町は東京から二千キロ、沖縄本島からも五百キロ離れている日本最西端にあります。この島で肉用牛の飼育とサトウキビ生産に励む専業農家の若い夫婦がいます。前楚和秀さん(28)と倫子さん(26)。二人の間にはひかりちゃんという生後四カ月の長女がいます。

 二千キロ離れた島に嫁いだ花嫁

 和秀さんはこの島に生まれ育ち、本土の東京農業大学畜産科を卒業して島に帰り、しばらくJA与那国に勤務しましたが結婚を契機に実家の専業農家を継ぐ決意をしました。体重八十キロのりっぱな体格。島に伝わる闘牛の牛も操れば、勇壮な演武の棒踊りもこなす運動神経抜群の青年です。

 倫子さんは対照的に生まれも育ちも東京、サラリーマン家庭出身で農業の経験は何もありませんでした。二人の出会いは数年前の旧盆。和秀さんが青年団で沖縄の民踊エイサーの稽古をしているとき、まだ学生だった倫子さんが参加して知り合いました。

 倫子さんはスキューバダイビングが大好き。国際基督教大学の学生時代から、マリンスポーツのメッカである与那国にしばしば通っていました。与那国の海底には古代遺跡ではないかと言われる階段を持つ巨岩があり、ダイバーたちの人気の的なのです。友人たちは「センりの好きな倫子が、釣り好きの和秀に釣られたんだ」と言うのですが、倫子さんは「釣ったのは私、釣られたのが彼」と否定します。とにかく誠実で優しい和秀さんに、しっかり者の倫子さんが好意を持ったのはまちがいないようです。

 すっかり仲良くなった二人が和秀さんのバイクに一緒に乗って走り回る姿を近所の人に見られ、二人の交際が和秀さんの両親に知れました。二人が「結婚する」と言い出したので、「東京の女の子に牛なんか飼えるはずがない」と和秀さんの両親は悩みます。倫子さんの両親も「そんな二千キロも遠くへお嫁に行かなくても」と嘆くことしきり。双方の両親を説得するために、二人は大奮闘。

 まず、倫子さんは和秀さんについて牛の世話を実際にやりました。牛をちっとも怖がらず、かわいがり、糞の始末も平気でする姿を見て和秀さんの両親の見る目が変わりました。倫子さんの両親も、それを知って多少安心したようです。

 「でも、学校だけは卒業していって」と懇願されて倫子さんはまたまた奮闘。キノコのアミノ酸を研究した論文を書き上げて、二〇〇一年春にめでたく卒業し、その年の九月、晴れて島の花嫁になりました。

 親族だけの内祝いで入籍をすませて、和秀さんの実家の持ち家で一緒に暮らし始めたのですが、島のならわしでは結婚を祝う儀式はそれではすみません。なんと島をあげてのお祝いの式典が二〇〇二年三月末に行われることになりました。

 人口千八百人、六百世帯はみんな家族みたいなもの。全世帯に披露宴の招待状を二人で配って歩くだけでも大変。島にはダイバー用のホテルや旅館、民宿はあっても大きな結婚式場も仕出し料理店もありません。披露宴の会場は中学校の体育館を借り、飾りつけやお料理はすべて島の人たちの手作り。

 島民650人が参加した手作りの大披露宴

 大安の挙式当日、海が大潮の満潮を迎える正午、倫子さんの実家に見立てた和秀さんの親類の旅館に、倫子さんを迎えに和秀さんがやってきます。白無垢の衣装に身を包んだ二人が、やはり和服で盛装した男女中学生に先導されて、倫子さんの家族、親類、友人が後ろにつき、徒歩で和秀さんの実家に向かいます。

 実家の仏間で、お仲人さんの指示に従って簡素で厳粛な式が進みます。まず仏前で先祖の霊に結婚を報告、新郎新婦の三三九度の杯、親族同士の固めの杯、指輪の交換、お祝いの島歌の披露と式はとどこおりなく二時間ほどで終わりました。

 気がつくと、和秀さんの実家の庭先や前の空き地で大勢の人が立ち働いています。学校の給食で使うような巨大な鍋がいくつもあって、おいしそうな匂いがします。午後七時から中学校の体育館で始まる披露宴の準備でした。この料理をはじめ会場の設営や案内、接待に働く人は百人余り。

 これこそ与那国方言でいう「ドウィ」、沖縄弁では「ユイマール」、本土では「結(ゆい)」という日本古来の相互扶助のしきたり。与那国では今も冠婚葬祭は住民同士の「ドウィ」によって行われています。夜の会場には手伝いの人も含めた六百五十人が集い、心のこもった華やかな宴になりました。

 肉牛とサトウキビ作りに力を合わせて

 町長さんの祝辞に続いて、島の伝統芸能が次々と披露され、宴はいっそう盛り上がります。遠く東京からこの島に嫁いだ倫子さんと迎え入れた和秀さんを、島の人々は心から祝福してくれたのです。全員の祝いの踊り、カチャーシーで閉会したのは午後十一時でした。

 こうして二人は島の専業農家として出発しました。三・六ヘクタールの畑で年産二百トンのサトウキビを出荷する一方、肉牛の母牛二十頭を飼育し子牛を八カ月から九カ月育てて市場に出します。

 BSEによる価格の暴落にも二人は負けていません。雨の多い島では餌の牧草がよく育ち、問題の肉骨粉など与えません。市場で子牛を引くのは倫子さんの役目。女が引く方が子牛が大きく見えて、よい値がつくとか。しかし、かわいがって育てた子牛との別れは辛い。「いなくなった子牛の分だけ、子どもが欲しいね」と二人は話し合っています。

(フリーランス・ライター 相羽宏紀)

(新聞「農民」2003.1.13・20付)
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2003年1月

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