「農民」記事データベース20021230-568-03

「再生プラン」と農地制度「改革」―(6)―

―なにが問題なのか―


異常の是正、ヨーロッパなみの資本主義に

駒沢大学名誉教授 石井 啓雄

 日本農業の現実と生産法人の農業

 前々回に掲げた表に見られるように、九〇年代以降も食料自給率は下がり続け、農家の数は減るものの農地の面積も減少しており、作付のべ面積はもっと速いテンポで減っています。農地減少の主な理由は、都市化と開発による非農地への転用および耕作放棄地の増加で、耕作放棄地は二〇〇〇年には三十四万ヘクタールを越えました。耕作放棄と作付減退の主な原因は、稲作減反と麦類、豆類などその他の普通作物が引き合わないことです。

 以上のような傾向は六〇年代に入ってから一貫したものですが、とくに気になるのは、九〇年代以後、農業生産の全体が減るようになったことです。

 また農業労働は昭和一ケタ世代がリタイアを引きのばして支えている状態ですが、最近では規模の大きい農家の増加テンポが鈍ってきています。

 以上のような最近における農業の困難の深化の主な原因は、WTO農業協定による市場開放と価格政策の否定による農産物価格の下落にあると皆さんも思っているでしょうが、政府はそのことには一切目をつむったままです。そして新基本法(食料・農業・農村基本法)で農政の対象を農村にまで広げたとか、みんなで食料自給率を引き上げようとか、次のWTO交渉では農業の多面的役割を強調するとか、言葉のうえではいいことを言うのですが、実体のある政策は、強引な農地流動化と株式会社の参入を認めた法人化の推進とか、依然として農林水産予算の五〇%を超える土木事業の執行などが主体です。

 ここで農業生産法人による農業の展開状況をみてみると(表3)、農業生産法人の数は政府の熱心な奨励のもとで、最近有限会社を中心に増えつつあるものの、農地面積でのシェアは数%、参加世帯の数もせいぜい二万二千戸程度です。こうして生産法人が日本農業全体に占めるウエイトはたいしたものではないのですが、しかし株式会社生産法人は「改正」法施行後一年で二十五(うち企業の進出によるもの二十一)できました。

 
表3 農業生産法人人数の推移
 
総数
 
法人格の種類別内訳
うち米麦作
農事組合法人
有限会社
合資・合名会社
1970
80
90
95
2000
2,740
3,179
3,816
4,150
5,889
806
743
558
803
1,275
1,144
1,157
1,626
1,335
1,496
1,569
2,001
2,167
2,797
4,366
27
21
23
18
27
注(1)農水省(元)構造改善局農政課調べ。
 (2)「うち米麦作」は粗収益の50%以上が米麦のもの。

 日本では戦前から、ヨーロッパ大陸の農業は資本主義的で借地中心の農場制であるとか、経営規模は日本と比べて質的段階的に異なって大きいなどといわれ、今でもそう信じている人が多いでしょう。また六〇年代に始まる西ヨーロッパ諸国の基本法あるいは基本法的な農政の一環としての構造政策は、農地流動化による規模拡大が中心という理解が一般 的でしょう。

 しかしこうした理解はみんな誤っているとはいわないまでも、正確ではありません。規模の問題は前々回に述べましたが、農場制が支配的ともいえないし、借地率が高いのは貴族の大土地所有が残ったからというより、均分相続のもとで兄弟姉妹の所有地がそのうちの誰か一人に貸されることが多いからです。

 そして質的段階的差異ということについていえば、規模の問題などではなく、西ヨーロッパ社会は市民革命を経ているが、日本では改革はいつも上からなされてきたということが最も重要なのだと私は思っています。そこで日本では、国民はいつも政治家に陳情したりお願いしたりするスタイルをとりやすいのですが、西ヨーロッパでは、農民でも職能団体の代表などを通じて交渉によって自分たちの望む農政を堂々と求めていくというかたちになっています。

 もちろん西ヨーロッパ各国それぞれに、家族経営を軸に農業の発展をはかるための農地制度や農地政策があるのはいうまでもありません。その大部分は、第二次大戦中から戦後にかけて基礎を固め、その発展として展開してきたものでもあります。

 こういう西ヨーロッパは、いわば国民主権下でのルールある、あるいは人間の顔をした資本主義であり、したがって財政難でも不況下でも、失業保険の給付は数年に及ぶとか、労働時間の短縮とかワークシェアリング制度の改善とか、派遣労働者と正規労働者の平等化とか、そういうことが追求されるのではないでしょうか。

 また、ドイツがナチの戦争責任を認めることで可能になった西ヨーロッパの政治・経済統合(現在EU)における農業の高い位置づけと、過剰まで生んだのになおWTO交渉でも共通農業政策(CAP)を守り抜いたこと、そして価格は引き下げるが、その予算は直接支払いに振り替えてきたことなどは、この市民社会のうえに成り立ってきたように思われます。

 構造政策も、農地流動化・規模拡大一辺倒なのではなく、「農業で自立できる家族経営をできるだけ多く維持・育成する」というのが基本で、少なくもオイル・ショック以後は、エコロジー重視とならんで、失業を農業・農村からは増やさないという努力が払われてきました。

 猿真似とは違って、ヨーロッパにおけるさまざまな事実に学びながら、今こそ自主的に自分たちで考え、ヨーロッパなみの人間的な資本主義の国に日本を変えること、そしてその一環として農業、農・山村の存在と農民の暮らしを正当に位置づけ、再興させていくことをめざして、みんなで努力していきたいものです。

 それは、小泉「改革」とは逆の方向で戦後改革の成果をいかし、五十七年たった戦後民主主義のいっそうの定着、そしてさらにその発展・深化をめざすことの一部でもあります。

(つづく)

(新聞「農民」2002.12.23・30付)
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2002年12月

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