「再生プラン」と農地制度「改革」―(5)――なにが問題なのか―
戦後農地制度の核心と農業生産法人駒沢大学名誉教授 石井 啓雄高度成長下での農地制度の展開高度経済成長政策を自民党政権が明確に打ち出したのは、「六〇年安保」後のことでした。六一年制定の旧農業基本法は、その農業版でした。 この旧基本法は、一方で構造政策という考え方を初めて明らかにし、農地流動化による規模拡大で自立経営農家百万戸の育成をめざすとしました。このため当時「貧農首切り」として批判されたのですが、他方では都市勤労者との間での所得均衡をめざすとし、それが生産費・所得補償方式の米価算定や、各種農産物価格政策の誕生につながる面もあったのです。また、学校給食にアメリカの余剰小麦を使うようなことを恒常化する方向で、麦・大豆・飼料穀物などの市場をアメリカなどに開放していくことも定めました。 この頃から農民多数の賃労働兼業化が深まっていくとともに、基盤整備や機械化による省力化によって、主に農業で生計をたてていくには規模拡大が必要にもなってきました。この間に立ち入るかたちで国の農地流動化政策が展開されてくるのですが、それは農地法の自作農主義・耕作者主義の原則の枠のなかで、また農外からの転用要求に対しては優良農地を守りながら、実需要には応じざるをえないというかたちのなかで展開されてきました。 農林省は、当初は「自作地売買の方向づけ」というかたちの農地流動化を意図したのですが、これは農民の心情に合致せず、七〇年の農地法改正からは、賃貸借規制の緩和による賃貸借形態での流動化促進中心に切り換えます(ただし売買形態での農地移動促進のために農地保有合理化事業も発足させます)。そのほか六九年には、建設省の新都市計画法制定に対応すべく、農地法の転用統制の補完ともなる農振法の制定もなされました。
賃貸借による農地流動化と制度の核心その後の農水省は、農地転用統制の緩和を求める財界の圧力には抵抗しつつ、主に賃貸借形態での農地流動化促進のために、予算措置も講じながら、農地法のバイパスづくりのかたちで、主なものだけでも次のような制度「改正」を行いました。 *七五年、農振法中への農用地利用増進事業の創設。これは市町村の関与によって、賃貸借が期間満了で自動的に終了するという制度で、以後、これによる利用権設定が広がるようになりました。 *八〇年、農用地利用増進法の制定。これは利用増進制度の独立法化であり、あわせて農用地利用改善団体の制度などもつくられました。 *九三年、認定農業者制度の創設などを含む農用地利用増進法の農業経営基盤強化促進法への改名。 そして、そのたびに農地法の「改正」もあわせて行われました。 しかし、農地の権利取得は、自らあるいは家族が農作業に常時従事するのでなければ許可されないというかたちで、耕作者主義は頑固に守り通されてきたのです(この規定の仕方は七〇年法以来のもの)。「農作業常時従事」とは、田畑に出て、労働価値説的にいえば価値生産的労働に常時従事するということであり、常時とは年に百五十日以上とされていました。 したがって居住も日常生活も田畑の近くで行わざるをえません。ところが「作」の一字をとって「農業従事」としたとたんに、管理業務だけでも、マーケティング業務だけでもよいことになり、したがって常時大都会のオフィスや、極端にいえばアメリカにいて、電話やメールで指図するだけでもよいことになってしまうのです。「農業従事」と「農作業従事」の決定的な相違であり、農作業常時従事義務こそが、農地改革の結果としての戦後農地制度の核心であるゆえんです。
農業生産法人の制度一九六二年の農地法改正の際に、税制や社会保障制度の問題もありましたが、耕作農民が土地と労働力を持ち寄り、共同で農業経営をすることを可能にするために農業生産法人の制度が創設されたことと、法人格の種類の限定とか要件については前々回に述べました。 その後、この農業生産法人の要件は農地法「改正」のたびに緩和されて、九三年「改正」の前の状態では、法人格の限定とか事業要件(農業および附帯事業に限る)はそのままだったものの、土地提供、労働力提供、配当などに介する要件はなくなり、業務執行役員の過半が農作業常時従事者であればよいという状態にまでなっていました。こういうかたちで、生産法人の制度を、なんとか耕作者主義の枠内にとどめたのです。 しかしそれを、主に財界の圧力と一部の生産法人などの意見によって、九三年と二〇〇〇年の「改正」で緩めてしまいました。 具体的には、九三年の「改正」では、(1)営める事業の範囲を、農産物の製造・加工にまで拡大し、(2)議決権の制限付き(一人十分の一以下、合わせて四分の一以下)ながら、(1)農協や農地保有合理化法人、(2)その生産法人から農畜産物の供給や農作業の受託を受ける個人、(3)その生産法人の事業の「円滑化に寄与する者」ならば業者や生協なども構成員になれる――ということにしたのでした。 さらに二〇〇〇年の「改正」では、(1)定款で株式の譲渡制限を定めれば、法人格は株式会社でもよい、(2)営める事業は主として農業であればよい、(3)役員の過半が農業(農作業ではない)に常時従事し、そのまた過半(つまり四分の一以上)が農作業に常時従事すればよい、(4)しかも農作業常時従事の基準は百五十日以上から六十日以上に引き下げる――ということにしてしまったのです。 要件を満たし続けるための担保措置はついていますが、私の理解では、少なくとも二〇〇〇年の「改正」は株式会社の農地取得のための突破口づくり、そしてなによりも耕す者だけが農地の権利を持てるという戦後農地制度の原則からの逸脱の第一歩です。そしてそのうえに、最初に紹介した三つの「改革」案が続くわけです。 (つづく)
(新聞「農民」2002.12.16付)
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[2002年12月]
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