「再生プラン」と農地制度「改革」―(4)――なにが問題なのか―
日本の政治・経済の異常と農業の姿駒沢大学名誉教授 石井 啓雄戦後復興から高度成長へ戦後改革のなかでも農地改革が果たした役割は決定的でした。国の発展段階が、軍閥と地主と財閥が支える天皇制絶対主義の国家から、対米従属・依存的で大企業中心ながらも資本主義の国になれたのも、社会がかなり民主化できたのも、食糧難が比較的早く解決できたのも、一九五五年頃から急速な経済成長を始められたのも、みんな農地改革の成功が大きな原因の一つとして関係しています。 民主化された農村で、農民は高い小作料を収奪されることもなく、安心して耕作を続けることができ、たとえば米の国内自給にメドがたち、畜産物や果実・野菜なども大量に生産されるようになりました。 だがひるがえって見れば、この民主化された農村と農民的土地所有、そして家族農業経営は、対米従属・依存的な工業、そして流通業領域の大企業の復活と発展に、踏み台として利用され続けることになってしまったのです。それが日本の一九六〇〜八〇年代の高度経済成長でした。 一九五五年頃から農業生産の発展をはるかに上回るテンポで成長するようになった工業と流通業は、機械など多くの生産資財や耐久消費財を農業・農村にも売り込んだだけではありません。工業や開発や都市化に必要な土地と水を、アメとムチを使い分けながら、大量に農業用から非農業用に転換させたのです。また出稼ぎや中卒の集団就職からはじめて、今では青年のほとんどを非農業就業者にしてしまう状態までつくりだしたのです。 そして当初の頃は、無資源国なので工業の貿易立国しかないといって、研究の奨励から税制の特別措置、さらに輸出助成まで、手厚い保護を受けて力をつけることができた大企業は、今度は厚顔にも自分たちの輸出を伸ばすための見返りに農産物市場の開放を主張するようになったのです。 その帰結がWTO農業協定の受け入れであり、農産物市場の開放と市場原理の名をかたる農産物価格政策の否定です。それらはアメリカの外圧によるだけではなく、日本の大企業の内圧にもよるのです。
日本の農業と日本の異常世界のなかに日本のような先進資本主義国があるでしょうか。 第二次大戦後における国内総生産に占める農業生産シェアの著しい縮小、食料自給率の激しい低下、急テンポの耕地面積の減少と耕地利用率の低下、農業就業人口の急速な減少、そして大量の農地の非農地への転用のもとでの非常に高い農地価格など(表1、2参照)。
こんな日本のような先進国はアメリカ大陸どころか、ヨーロッパ大陸にもありません。一つだけいえば、食料自給率を下げたのは日本だけです。 この異常の原因は、日本の農業経営が零細なことなのでしょうか。 私の理解では、植民地に始まるアメリカ・オセアニア両大陸などの農業は別として、畑作と飼料自給型の畜産が基調で、家族農業が圧倒的な西ヨーロッパ農業の経営規模は、北海道の道東や道北に比べて質的に違うほど大きいわけではありません。スイスやオーストリアやイタリア南部などは、むしろ小さいのです。それなのに、西ヨーロッパの農業はいろいろ困難はあるにしても、日本農業とは違って、全体として過剰を生むまでに自給率を高めてきたほど元気なのです。 この大きな相違の原因は、それではどこにあるのでしょうか。国民のかかわり方を含めて、国の政治と経済政策の全体が違う、そこに自給率の著しい低下に象徴される日本農業「衰退」の原因の根本があると、私は思っています。 (つづく)
(新聞「農民」2002.12.9付)
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[2002年12月]
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