「農民」記事データベース20021202-565-10

農の考古学(26)(最終回)

稲作の歴史をたどる


農の行方と課題

 これまで日本列島の農耕の歴史をたどってきました。そこでは、私たちの先人が、いかに大地にはたらきかけ、苦心して農業生産を行ってきたのか、をみてきました。

 仙台市の富沢遺跡からは、現代〜弥生中期へと重層的につながる水田跡がみつかっています。何度も洪水に遭い、水田を流されて、また水田を造る、という苦闘の跡を示したものです。こうした痕跡は、岡山市の南方釜田遺跡など、各地にみることができます。

 日本で稲作が定着したのは、今から二千数百年前の弥生時代でした。農耕社会の成立・進展とともに、人びとの生活様式や文化が形成され、多彩で豊かなものとなっていきました。「米離れ」が喧伝される現代社会においても、私たちの生活は米・稲作ぬきには語れません。

 水田稲作は、水源かん養や環境保全など、農業以外にも、すぐれた機能を持っています。

 その稲作は今、試練の中にあります。減反面積は百万ヘクタールを越え、その一方でWTO協定によるミニマムアクセス米の外国米輸入は七十七万トン(二〇〇一年)に達しています。自国の農民に減反を強いて、外国米輸入を続ける自民・公明・保守党連立の小泉政権は、市場原理で米価をさらに引き下げ、転作奨励金の廃止など、農業破壊の「米改革」をねらっています。

 農業は、土や水、風や太陽の自然を相手に生命をはぐくむ産業です。日本の農民は、自然の地形に順応して棚田を開き、里山の恵みを取り入れて農業を営んできました。

 自然を相手に生命を育てる農業は、本来、市場原理や効率中心のやり方になじまないものです。この路線の中で、日本農業は矛盾と危機を深めています。

 二十一世紀は、効率主義の方向ではなく食料、環境、健康といった課題で国民的合意を形成し、大地に根ざした草の根の運動で、人間的な生産活動と生活、文化を創造する時代です。

 歴史に学び、新しい歴史をつくる試みだと思います。

(おわり)

(新聞「農民」2002.12.2付)
ライン

2002年12月

農民運動全国連合会(略称:農民連)
〒173-0025
東京都板橋区熊野町47-11
社医研センター2階
TEL (03)5966-2224

本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
Copyright(c)1998-2002, 農民運動全国連合会