農の考古学(15)稲作の歴史をたどる
稲作と農耕儀礼弥生時代には、水田稲作に伴う農耕儀礼が行われるようになります。 鳥取県・稲吉角田遺跡出土の壷形土器片には、頭に鳥の羽根をつけて鳥装をした数人の人物が、長い船を漕ぐ姿が描かれています。船がすすむ方向には二棟の高床式の建物と樹木があり、樹木には二つの紡錘状のものが吊るされています。 この線刻画について、大阪府立弥生文化博物館の金関恕館長は「鳥装をした祭司が、海の彼方から穀霊の神を招き寄せている場面を描いているのだと思われます。紡錘状のものは銅鐸でしょう。弥生時代には、鳥は神を招く存在だと信じられており、田植えの春に穀霊を迎え、収穫の秋には送り帰すのだとされていたのです」と説明します。 大阪府・池上遺跡や島根県・西川津遺跡からは、鳥形木製品が出土していますが、金関氏は、この鳥形木製品は棒の上につけて立てられた祭祀具だといいます。自由に空を飛ぶ鳥を、神の国と人の世のなかだちをする使者だと古代人は信じていたのでしょう。 水田稲作についての古代人の観念は、銅鐸の絵画にもみられます。神戸市桜ヶ丘町出土の四号銅鐸・五号銅鐸や、伝香川県出土銅鐸には、サカナをくわえたサギが描かれています。サギは稲をもたらした精霊と考えられていたようです。カメ、トンボ、カエル、カマキリも描かれています。いずれも水田とかかわりのある生き物です。 シカの絵もあります。弥生時代には、シカを土地の精霊とする考えがあったようです。毎年春に生え代わるシカの角を、春に種を播き、秋に稔る稲にみたてて、シカの体から土地を連想したとする説があります。 弥生時代の農耕儀礼について、山口大学の中村友博教授は「豊作の願いとともに、ムラ全体の結束を確認する民衆の祭りだったのでしょう。しかし、弥生時代後期から祭りは、権力をもつ特定の個人を祭るように変容していきます」といいます。
(つづく)
考古学者で、弥生時代研究に大きな業績を積まれた佐原真氏が七月十日、死去されました。誠実な佐原氏の人柄を偲び、哀悼の意を表します。 (新聞「農民」2002.7.22付)
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[2002年7月]
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