「秋田の赤い靴の少女」の波乱に満ちた一生を精魂こめて演じたい秋田県出身の直木賞作家、渡辺喜恵子さんの原作『タンタラスの虹』を舞台化した、ひとり芝居『足の裏の神様』が今、高知から愛媛へと巡演中です。そして七月に東京と秋田での公演が始まります。テレビ、映画、舞台へと活躍する演技派女優、浅利香津代さんに四年ぶりの再演にかける“想い”を語ってもらいました。
ひとり芝居「足の裏の神様」再演にかける浅利 香津代さん〔プロフィール〕 1944年、秋田市生まれ。日大芸術学部演劇科卒後、望月優子に師事。新人会で8年在籍後、前進座で中村翫右衛門に師事。10年在団後フリー。主な舞台は「出雲の阿国」「早春賦――小林多喜二」「貞子――民謡・秋田おぼこ物語」「影法師」など。テレビは「春日の局」「葵・徳川三代」ほか。映画は「息子」「学校」「千年の恋――ひかる源氏物語」など。
この芝居は、渡辺先生が八十歳の時に「香津代ちゃん、あなたの“ひとり芝居”で演(や)ってくれない?」と頼まれたのが、きっかけで生まれたんです。故郷秋田の大先輩であり、劇中の主人公も舞台も秋田ということもあり、その時、渡辺先生が少女のように目を輝かし、体を前のめりにして熱心に話されたことに、とても感動したのです。
貧しい人たちに捧げた命これは「秋田の赤い靴の少女」と言われている実話です。明治十九年、後妻に入った若い嫁が姑にいじめられ、誤って先妻の娘を死なせてしまったことから始まります。嫁憎しの姑の証言だけで無期懲役囚にされた嫁ふじが、秋田刑務所内で娘ハツを生みおとし、その後、病いのため獄死します。 ハツは、新任地の秋田に来た二十六歳の米人宣教師ミス・ハリソンの養女として引き取られ、十二歳の時、ミス・ハリソンと一緒に渡米します。 ハツは成人したものの排日運動の激しいロサンゼルスにいられず、日本人移民の多いハワイへとハリソンとともに移住。公立学校の教師になり、現地人や日本人移民の子どもたちの教育に当たるようになります。 ところが無理がたたってハツは肺病に倒れ、多くの教え子に見守られながら三十四歳の生涯を終えました。 明治時代に貧しさと無知ゆえに、刑務所の中で“こぼれ落ちた”幼い命が、若い女性宣教師の手に拾われ、アメリカに渡って貧しい人たちのために自らの若い命を捧げたという感動的な秋田の女性の物語です。
先生の情熱に圧倒されて渡辺先生から芝居の依頼を受けた時、八十歳と思えぬ情熱に圧倒され、「私が八十歳の時に、こんなエネルギーがあるかしら?」と思いました。それからの毎日は「力走力走」の連続。松山善三先生に脚本をお願いし、その紹介で演出の斉藤耕一先生にお会いし、お金の算段をする、電話をかける、手紙を出すの毎日。そして秋田魁新報社に製作を引き受けていただき、初演にこぎつけることができました。四年前のことです。
自分が燃えられるものは何か「浅利さん、あの芝居また見たいわ」と再演のラブコールがあったのは四国の高知からでした。それで六月から高知、愛媛と八カ所、そして七月に東京四ステージ、秋田三カ所、合計十五カ所で公演することになりました。皆さんの要望で再演できるなんて、役者冥利に尽きます。私は最近とみに地球環境の汚染、食べ物に対する不安、核戦争が起きたら地球上から人間はいなくなってしまうのではないかなどの不安を強くしています。こういうなかで自分は何ができるんだろうか、限られた生命、残っている時間をどう生きていったら、いいんだろうと考えます。 そんな時に再演の話が飛び込んできたのです。「自分の選んだ職業の中で、自分が燃えられるものは何か」といったら、やはり『足の裏の神様』を精《込めて演じる以外にないって思い知らされたんです。劇中で主人公が「神様は遠い空の彼方におるのではなく、一人ひとりの足の裏にくっついているんだ」と言います。ハツの人生には多くの人たちの善意が“神”のように寄り添っているんですね。
秋田弁で苦しみ悩んだ時期も私は幼稚園も小中学校も秋田大学学芸学部の付属で、ずっと標準語で教育を受けてきましたので、十八歳で上京し、日大芸術学部に入った時は「ナマリがある」と思っていなかったのです。それが朗読の時間に「ロミオとジュリエット」のバルコニーの場で、ジュリエットの独白をやっている時に皆から笑いが起こったんです。そして「青森、福島、秋田」って掛け声がかかって。次の日から言語障害になってしまい、それからは「浅利さん、お国は」って聞かれると、心臓が破れそうになって以来ずっと、しゃべれなくなっただけでなく「秋田憎悪」になり、以後『アクセント辞典』は肌身離さずでした(笑い)。
転機になった「雲のじゅうたん」大学を出てから新人会に入り、前進座に移った時には秋田弁も“卒業”していました。その頃にNHKの朝のテレビ小説『雲のじゅうたん』のオーディションに応募したら「出身が秋田だ」という私が残されて「今度は秋田が舞台だから、古い秋田弁をご存じですか」と聞かれました。大正時代、雪深い秋田で生まれた女性が飛行士になり、空を飛んだという実話をもとにしたドラマでした。そこで祖母が話していた古い秋田弁を思い出しながら、しゃべったんです。 そしたら「いいねぇ、いいねぇ、それだ!」と言ってくれたのが、プロデューサーの篠原さん。長岡輝子さんの息子さんでした。「方言指導だけでなく、ヒロインの姉の役もやってくれ」と。うれしかったですね。ヒロイン役の浅茅陽子さんや中条静夫さん、小松政夫さんたちに方言指導させてもらいました。 すると「浅利ちゃん、秋田弁って温かいねぇ」とか「優しいね」「素朴だ」とか「フランス語みたいだ」と言われ、「標準語よりも、うれしいのか辛いのか、よく分かるよ」って、ほめられたんです。あれほど嫌っていた秋田弁の良さを再認識するようになり、ドラマを収録しているうちに全身の細胞が活き活きしてきちゃって(笑い)。
秋田弁の芝居で芸術祭賞をその後に水上勉作・演出の『釈迦内柩唄(しゃかない ひつぎうた)』という作品に出合うわけです。先生の原稿は若狭弁だったんですが、主役の私の故郷に舞台を移すことになり、私がセリフを秋田弁に直し、先生のご指導を受けながら、私は藤子役で芸術祭優秀賞を受賞させていただきました。私は秋田弁に限らず、どの地方の言葉、方言も大好きです。その地方に行って土地の人たちが話しているのを聞くと、気持ちが安らぐんです。言葉の響きが美しくて、可愛くて、いとおしく、素晴らしい魅力にあふれていると思います。 (聞き手)角張英吉
(写真)関 次男
「足の裏の神様」公演スケジュール (新聞「農民」2002.7.1付)
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[2002年7月]
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